【Vol.525】インドのシリコンバレー

月曜日夜から印ベンガルールを訪問し、今朝帰国しました。IT・ICT産業の成長著しい都市ですが、現地は「ザ・インド」と言える混沌と無秩序と「インドのシリコンバレー」と称される活気と先進性が混濁する不思議な世界でした。

ベンガルールで日本経済の橋頭堡として奮闘している総領事館、JETRO、進出企業等の皆さんから直接伺った情報はたいへん参考になりました。

1.インドのシリコンバレー

インドでは、国の発展に伴って植民地時代につけられた地名を現地語の発音と表記に戻す動きが1990年代から盛んになりました。

1995年ムンバイ(旧ボンベイ)、1996年チェンナイ(旧マドラス)、2001年コルカタ(旧カルカッタ)等に続き、2014年、インド南部カルナータカ州の州都バンガロールは「ベンガルール」に変更されました。現地カンナダ語の発音と表記です。

ベンガルールは人口850万人、ムンバイ、デリーに次ぐインド第3の大都市であり、「インドのシリコンバレー」「世界のテックハブ」等の異名を持つことで知られています。

英国のシンクタンクが「アジア太平洋地域で、東京、上海、香港を抜き、情報・通信セクターを中心に最も急速に発展する都市」と評し、今やIT系を中心に世界の主要企業がベンガルールに拠点を置き、中国深圳と並び称され、「中
国は世界の工場、インドは世界のITサービスセンター」と言われます。

当初は米国IT大手企業のオフショア拠点として発展しましたが、現在では多くの企業のグローバル戦略拠点や研究開発拠点を置いています。ITのみならず、航空宇宙、バイオ等の産業が発展しているほか、製造、小売、金融等の世界的企業がシステム開発や研究の拠点をベンガル―ルに置いています。

日本企業も進出しており、ベンガルールを中心にカルナータカ州には228社537拠点があります(昨年10月現在、JETRO調べ)。

ベンガルールのIT業界規模は直接雇用約370万人、ITエンジニア約200万人。インドで最も多くのITエンジニアが住む都市となっています。因みに日本全体のITエンジニアは約90万人。以下、ベンガル―ル発展の経緯です。

1947年のインド独立以降、ベンガルールには軍事・航空宇宙等の産業に関する
研究施設が国策として集積されました。

1981年にインド大手ソフトウェア企業(インフォシス)がベンガルールでIT事業を開始したのを契機に、米国を中心とする外資系IT企業誘致が始まり、国も1980年代中頃からソフトウェア開発等の下請け事業拡大に注力しました。

1991年から96年まで首相を務めたナラシンハ・ラーオ(ナラシムハ・ラオ)は、同時期に中国を牽引した鄧小平の改革開放政策を参考に「インド型社会主義」を転換。資本主義化と産業育成に腐心し、今日の発展の基礎を築きました。

ベンガル―ルがIT企業のアウトソーシング先、オフショア拠点としての地位を獲得した契機は「Y2K問題(西暦2000年になるとコンピュータが誤作動する問題)」です。米国を中心とした海外企業の多くがインドIT企業に対応を依頼。

インドIT企業は「Y2K問題」に関する多くの開発・保守プロジェクトを請け負いました。

「Y2K問題」収束後も海外企業はインドをIT業務アウトソーシング先、オフショア開発拠点として活用。インドはIT国家として認知されるようになり、ベンガル―ルはその中心として発展しました。

2010年代以降、多くのグローバル企業がベンガル―ルにIT拠点を開設。2000年頃は1兆円弱のビジネス規模でしたが、今や20兆円弱。つまり、約20年間で約20倍。

インドへのITアウトソーシングの世界シェアは約60%。インドIT産業の相手国は米国62%、英国17%、欧州11%、東南アジア8%、その他2%。日本は「その他」に含まれ、1%以下。インドIT産業から見ると日本のプレゼンスは極めて小さいのが現実です。

インドは高度IT人材を大量雇用できる唯一の国です。理工系大学の新卒は毎年100万人以上。うち20万人がIT業界に就職。米国マサチューセッツ工科大学(MIT)に倣ったインド工科大学(IIT)や国立工科大(NIT)等の世界レベル
の教育機関があり、人材を輩出しています。

中でもベンガル―ルはその筆頭であり、IISc(インド理科大学院)等、多くの工学系教育機関があり、国内外で経験を積んだIT人材が集積。優秀なIT人材が集まり、さらに多くのIT企業やスタートアップが生まれる好循環が構築されました。

以上のように、今やベンガルールはITシステムの「オフショア先」ではなく「イノベーション創造地」です。インドは久しく米英に次いで世界3位のスタートアップ大国と言われてきましたが、起業数において昨年あるいは今年は英
国を抜いていると推察されます。

インド政府によれば、2010年に480社だったスタートアップ企業数は、2016年に10倍の4800社、2020年1万社超、2022年末には10万社超。うち2022年だけで2万3千社が起業し、全体の約3割がベンガル―ルで創業しています。

ユニコーン数も世界3位を誇り、既に100社超。うち4割がベンガル―ルの企業であり、Eコマース、フィンテック、SaaSが約6割。2021年以降にユニコーンとなったスタートアップは67社に及びます。

2022年のベンガル―ルのスタートアップ資金調達額は約10億ドル。ムンバイ(約4億ドル)、グルガオン(約3億ドル)を抜いてインド国内最多です。

2.ベンガルール繁栄の理由

ベンガル―ル繁栄には当然理由があります。相対的に賃金が低いことも外国企業進出の当初の一因だったと思いますが、今や昔の話。繁栄の理由は多岐に亘ります。

第1は、気候の良さ、住み易さ。標高900mの高原都市であり、年間を通して気温は20度台中心。実際に行ってみて、なるほど快適でした。

第2に「コスモポリタン」的な街の雰囲気。旧市街は「ザ・インド」ですが、進出外国企業やIT企業が集まるエリアの在住者、勤務者の中には内外からの転勤者、移住者も多いようです。人々の様々な来歴がオープンな都市風土に寄与しています。

第3に上記第2の結果として英語圏となったこと。インドは州や地域によって言語が異なり、地元言語を知らないと不便です。ベンガル―ルの標準語はカンナダ語ですが、お互いに郷里と言語が異なるため、コミュニケ―ションをとる必要性から英語が普及したそうです。北京語が標準語になった中国深圳と経緯が似ています。

第4は地理上の特性。インドと米国西海岸の時差は約12時間。米国企業が終業時刻前にインドにソフトウェア製作、コーディング等の業務を発注すると、翌朝の出社時刻には依頼内容が完成しているというサイクル。これがシリコンバレーとベンガル―ルの24時間協業体制に繋がり、両地域の目覚ましい発展を実現しました。

第5に高い数学力。インドは「0(ゼロ)」を発見した国。元来数学への適応力が高い国民性に加え、英国から独立後、政府が数学教育に注力したことも奏効しました。

第6はコロナの影響。リモートワークが浸透し、欧米企業やスタートアップ企業のITエンジニアの中には、住み易いベンガルールでリモートワークをしている人も少なくないそうです。

第7に身分制度の逆効用。インドではカーストの影響から暗黙裡に身分制度が残っており、従事できる職業に制約があります。しかし、IT分野では慣習や文化や出自に関係なく、スキルがあれば重用されます。優秀な若者がIT分野を目指す大きな理由です。但し、それでもIT分野を目指すことができるのは一定の身分、所得環境の家庭出身者が中心のようですが、人口の母集団が大きいので、膨大な人数に及びます。

第8に都市の発展。上記諸要因の結果、ベンガルールはホテル、オフィスビル、ショッピングモールも増え、キャッシュレス化も進捗。外国企業が進出し、IT企業のみならず、小売や金融等の多くの内外企業が拠点を構えるように
なりました。

第9にITトレンドの先取り。世界の先端企業が集まった結果、ベンガル―ルでビジネスをすることで数年先のITトレンドを先取りできます。一例は仮想通貨を支えているブロックチェーン技術。ベンガル―ルではブームより数年早く様々なプロジェクトでブロックチェーンを利用していました。

第10に優秀な人材を大量採用できること。中国ファーウェイは2015年に5千人規模の拠点を開設。通信系技術者をその規模で集められる地域は他にありません。ベンガル―ルにはトップクラスの工学系大学・大学院、研究機関、ビジネススクール等があり、通信系技術者のみならず、データサイエンティストやAIエンジニアが集積しています。

第11にインド市場そのもの。インド国民が豊かになり、市場としての魅力も向上。今やインド市場及び同様の海外市場(例えば東南アジア、アフリカ等)を狙ったビジネスやソフトウェア開発も拡大。ベンガル―ルは新たな発展段階に入っています。

第12にスタートアップブーム。以上の諸要因に起因し、ベンガル―ルではスタートアップ企業が勃興。インドのユニコーン企業の半分はベンガル―ルに本社があり、他地域で起業したスタートアップがあえて本社機能を移すケースも少なくないそうです。

それを誘発している要因のひとつはベンガル―ルのエコシステム。べンガル―ルに拠点を擁すグローバル企業がアクセラレータプログラムを運営し、スタートアップを支援することで自社のイノベーション戦略に活用。IT分野のみならず、医療・ヘルスケア等、様々な分野のインキュベーション施設が揃うとともに、コワーキングスペース等のビジネス環境も充実。スタートアッパーと専門家メンターとのオンライン面談も日常的に行われているそうです。

もうひとつはVC(ベンチャーキャピタル)やエンジェル投資家。日本には来ていない多くの世界的VCがベンガルールに進出。また、インドのITトップ5のような大企業も大規模ファンドを創設してスタートアッパーを支援しています。

さらに、インドIT産業を起ち上げた先達リタイア組や米国で成功したインド人起業家たちが、現在ではスタートアッパーに対するエンジェル投資家に転身。単なる投資家ではなく、スタートアッパーに対するメンター(指導者、助言
者)的役割を果たしています。

「アイデアソン」「ハッカソン」が盛んなことも重要です。アイデアソン、ハッカソンはIdea(アイデア)hack(ハック)とmarathon(マラソン)を組み合わせた造語であり、1999年に登場。ソフトウェア開発に関するイベントの一種であり、クリエイターやエンジニアが集結し、企業が提示した課題に対し一定期間内にアイデアやシステムを共同創造します。いくつかの有力IT企業はアイデアソン、ハッカソンから誕生しています。

最近ではインド全土をカバーするためにオンラインでのアイデアソン、ハッカ
ソンを開催。大学の授業の一環としても導入されており、その中から優秀な学
生がスカウトされることもあるそうです。

日本のメルカリはインドでハッカソンを開催したことで企業知名度が上がり、インド工科大学等から優秀な学生を採用できるようになったそうです。今では優秀な学生に初任給2000万円以上を提示する企業もあるそうです。

第13にシステム基盤。インド版マイナンバー「アーダール(Aadhaar)」はインド発のイノベーション。インドは戸籍や住民票がなく、貧困対策等の政策実施のために個人IDを振るプロジェクトが2009年から始動。指10本の指紋と目の光彩を採取し、12桁番号を発行する生体個人認証の仕組みを創設。人口13億人のうち、既に12億人がID登録しているそうです。統計の信頼性には疑問もありますが、相当数の国民が登録しているのは事実でしょう。因みに今回の入出国に際して僕も採取されました。外国人にも適用されます。

「インディア・スタック」という公的基盤も整備されています。4つのレイヤー(プレゼンス、ペーパーレス、キャッシュレス、コンセント)のAPI(Application Programming Interface)が公開されているため、SIerやベン
ダーが効率的かつ有機的にアプリケーション開発できます。特にキャッシュレスレイヤーではUPI(Unified Payment Interface)というAPIが公開されており、これを活用してコーディングする(アプリケーションを作る)と銀行間決
済のトランザクションが無料かつリアルタイムで可能です。

さらにソフトウェア開発においては極力オープンソース技術を活用。日本ではSIerやベンダーが顧客を囲い込む閉鎖的システム作ることが多く、進化の障害になっています。インドの「レイヤードイノベーション」は、上記4つのレイヤーで可能な限りオープンソースを活用し、企業やシステム間のシナジー効果発揮を目指しています。

一昨年、高額紙幣が廃止され、政府系や銀行系のモバイルアプリが導入されたことでキャッシュレス化が進み、ペイティーエム(Paytm)、モビクイック、フリーチャージ等々、QRコード決済の仕組みが急速に普及。既に、スマホがなくても指一本で買うことも技術的に可能となっています。

上記13要因は相互に関連し合っていますが、その中でも「生体個人認証の仕組みを政府が提供していること」「レイヤーイノベーションを推進していること」の2点が起爆剤になっている印象です。

インドは身分・所得格差、多民族・多言語等の多様性に起因する様々な制約がある国です。そのことが逆に、制約を乗り越えるためにITを活用したイノベーションに繋がっています。それを可能としたのはIT人材とITインフラの充実です。

このメルマガでは、技術革新や社会変革が加速している中では「キャッチアップ」ではなく「リープフロッグ(カエル跳び)」が重要であることを主張してきました。技術や時流の遅れを「キャッチアップ」で挽回することが困難な時代であり、その場合は「リープフロッグ(その先の変化や進化を先取りする)」ことが必要です。

そして、インドで起きていることは「リバースイノベーション」です。社会の
遅れや深刻な社会問題の中から問題解決のためのアイデアや技術やビジネスが
誕生し、それが先進国に逆流することを意味します。今後のインドとの関係構
築は益々重要性を高めます。

3.「竜に翼」「昇竜」願う令和6年

さて、毎年年末最終号は恒例の干支の話をお伝えしています。干支は十干十二支の組み合わせで決まります。

十干は「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」、十二支は「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」。したがって、「十」と「十二」の最小公倍数の「六十」でひと回り。六十歳になると自分が生まれた年の干支に戻るので「還暦」と言います。

干支は十干の「甲」と十二支の「子」の組み合わせである「甲子」がスタート。現在は1984年の「甲子」から始まった60年循環の中にあります。その60年前、1924年の「甲子」の年に建設されたのが甲子園球場です。

干支は「陰」「陽」の2つ、及び「木」「火」「土」「金」「水」の5つの性質との関連で様々な解説がなされます。陰陽五行説(陰陽思想及び五行思想)です。

水は木を育み、木は火の元となり、火は土を作り、土は金を含み、金が再び水を生む。「五行」の組み合わせにより「相生」「比和」「相剋」「相侮」「相乗」に分類され、相互に強め合ったり、弱め合ったりします。

2024年の干支は「甲辰(きのえたつ)」です。「甲辰」は十干十二支の41番目の年であり、十干の1番目「甲」と十二支の5番目「辰」が重なる年です。

「甲」は生命が誕生した状態を表し、陰陽五行思想では「木の陽」を意味します。五行の「木」は成長の象徴であり、「陽」は積極的、大きいという意味です。つまり「甲」は成長、発展といった含意があります。

「辰」は草木の成長が整った状態を表します。葉を広げ、太陽の光を全身で浴びているイメージです。そして「辰」も陰陽五行思想では「木の陽」に分類されます。

「甲」と「辰」の関係は「木の陽」が重なる「比和」と呼ばれる組み合わせです。同じ気が重なると、良い場合には益々良く、悪い場合には益々悪くなる増幅傾向に繋がります。

十二支では「辰」は「竜(龍)」に準えられました。十二支の中で唯一空想上の生物ですが、東洋では権力や隆盛の象徴として親しまれてきました。

「竜」に纏わる諺や熟語には「雲」がよく登場します。「竜が雲を得る如し」は竜が雲海を天に昇るように勢いが盛んな様子の喩え。「雲蒸龍変(うんじょうりゅうへん)」は湧き上がった雲に竜が乗って上昇する様から、機を得て世に出て活躍する喩え。「雲となり竜となる」は竜が雲に添う光景から、男女の仲等が睦まじいことの喩えとしても使われます。

最も頻繁に使われる熟語は「登竜門(とうりゅうもん)」。「竜門」は黄河中流の急流を指し、ここを登った鯉は竜に変化するという言い伝えから、困難を突破すれば立身出世できる関門の意を表します。

最後に加える大切な仕上げの喩えである「画竜点睛(がりょうてんせい)」、初めは威勢がいいものの終りは尻すぼみとなる喩えである「竜頭蛇尾」もポピュラーですね。

「昇竜」は空に勢いよく昇る様を表し、「竜に翼」は竜に翼を与えればさらに力を増すこと、つまり強者が威力を増すことの喩え。「鬼に金棒」と一緒ですね。来年は日本も中日ドラゴンズもそうあってほしいです。

「虎」とのシンクロも多いです。「虎口を逃れて竜穴に入る」は一難を逃れても別の難に遭遇する喩え。「竜驤虎視(りゅうじょうこし)」は、竜が天にのぼり、虎が睨みつけるように天下を支配する様を表します。

「屠竜の技(とりょうのぎ)」は竜を殺す技のことですが、無敵の竜には無効であり、実際の役立たない無用の技芸のことを指します。「群竜無首(ぐんりゅうむしゅ)」は多くの竜がいても頭目つまり指導者を欠いては物事が上手く運ばない喩えです。

それでは皆さん、よい年をお迎えください。来年もよろしくお願いいたします。

(了)