【第256号】有為転変

皆さん、こんにちは。十月になりました。いよいよ秋本番。猛暑の夏が嘘のようですが、朝晩は冷え込む日が増えます。くれぐれもご自愛ください。

かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。

 今年もあと約二ヶ月。年末には「十大ニュース」が発表されますが、「今年も有為転変(ういてんぺん)だったなぁ」という感想を聞いたことがありませんか。

若い世代の皆さんには馴染みのない四文字熟語かもしれませんが、中高年世代はご承知のことと思います。「この世は有為転変だ」という使い方をします。「いろいろある」というような意味ですが、この「有為転変」も仏教用語です。

「有為」はお経の中にも登場する言葉です。「いろいろ起きる」ということを表します。それが「転変する」つまり「いろいろ起きるけど、みんな変わっていく」ことを表す言葉が「有為転変」です。

この世のあらゆる諸現象、諸事象は「全て常に変わっていく」「この世の全ては無常(変化する)」「必ず生滅を繰り返す」という仏教の世界観を表現しています。

これと似た言葉を何か思い出しませんか。そうです、「諸行無常」です。「諸行」は「有為」と同じで「全てのこと」を意味します。つまり「この世のあらゆる諸事象は永遠の存在ではなく、全て変化するものであり、常ならず」という意味です。「有為転変」は「諸行無常」と兄弟姉妹のような言葉です。

「生じたものはやがて変化し、ついには滅びる」というこの世の定め、仏教的世界観を諭しています。つまり「自分の思い通りになるものは何もない、すべては移ろいゆく」ということです。この自然の摂理が腑に落ちれば、心は穏やかになります。

空海が作ったと言われる「いろは歌」にも登場します。「いろは歌」は「色は匂へど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ、有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせず」ですが、途中に出てくる「有為の奥山」の「有為」は「有為転変」の「有為」です。「いろは歌」は無常の世界を「有為の奥山」に喩えています。

「太平記」にも「有為転変は世の習ひ、今に始めぬ事なれ共、不思議なりし事ども也」とあり、「有為転変」は早くから日本に定着した仏教的心情を表す言葉です。

「諸行無常」も「平家物語」の冒頭に使われていますね。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす」です。

「方丈記」には「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず、淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし、世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし」とあります。これも「有為転変」「諸行無常」の世界です。

さて、今年もあと二ヶ月足らず。良いこと、悪いこと、嬉しいこと、悲しいこと、いろいろありますが、この世は「有為転変」「諸行無常」であることを理解して、平常心で過ごしましょう。「平常心」も既にご紹介済の仏教用語ですよね。ではまた来月。