皆さん、こんにちは。梅雨の季節がやってきました。くれぐれもご自愛ください。かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。

今年の大河ドラマは「どうする家康」。家康の家臣として服部半蔵が登場しています。半蔵は忍者だったと伝わっていますが、忍者は隠密とも言います。

隠密とは戦国時代から近世にかけて、情報活動に従った下級武士のことを指します。江戸幕府には御庭番という将軍直属の隠密もいました。将軍居所の奥庭番人を務めつつ、将軍直々の命令を受けて諸国の動向を探る等の任務についていたそうです。

隠密は時に黒装束で大名屋敷等に忍び込んでスパイ活動や襲撃を行う者もおり、これが典型的な忍者のイメージです。服部半蔵も含め、忍者の一部は武士の扱いを受けていました。

さて、この「隠密」も仏教用語です。

仏教では、仏の教えの真髄や本旨はお経の表面に明瞭に顕れて説かれているものと、表面の字面だけからはわからない奥深くに隠されているものがあるとしています。

仏教では、前者を「顕彰」、後者を「隠密」と言います。「顕彰」とは「顕説」とも言い、お経に顕かな形で説かれている教えです。「隠密」は「隠彰」とも言い、お経の字面には顕らかには説かれていない教え、つまりお釈迦様が真に伝えたかった教えです。

お釈迦様はインドのガヤ(伽耶)という場所で覚りを開きました。ヒッパラという木の下で瞑想しているうちに覚ったので、その木は菩提樹と名づけられました。覚った後は、ひとり法悦(覚りの喜び)に浸っていましたが、その様子を知った天の最高神である梵天は「釈尊が覚った素晴らしい境地を衆生(人々)に広めなければこの世は滅びる」と考えました。そこで梵天はお釈迦様の前に現われ、教えを説くように説得しました。この出来事は梵天勧請と言います。

しかし、お釈迦様はお断りします。真理は言葉では表わせない、つまり言語道断、以心伝心です。説法しても正しくは伝わらないだろうと思ったからです。しかし梵天が「それでは真理を誰が伝えるのか。勇気を出して法を説いてほしい」と熱心に説得し、とうとうお釈迦様は教えを説きます。最初の説法を「初転法輪」と言いますが、その説法の内容には「顕彰」と「隠密」があるということです。

真理を伝えるためには、それを聞く人の能力や特性に応じて説き方を変えねば伝わりません。真理をいきなり話しても理解されないので、教えを説く手段として方便(例えや比喩)を使います。つまり、真理は奥深くに隠れていることから、方便を駆使して伝えることを「隠密の義」と言います。

さて、上に登場した「言語道断」も「以心伝心」も「方便」もみんな仏教用語です。方便を駆使しないと伝わらない言語道断、以心伝心の教えが「隠密」です。

ことの真相、真理を探るという意味で、「隠密」は忍者の意味に転じ、現代語としては「密かに探る」「人知れず活動する」という含意も持つようになりました。

今日は「隠密」な話をお伝えしました(笑)。ではまた来月。