【第250号】投薬(とうやく)

皆さん、こんにちは。桜の季節も過ぎ、躑躅(つつじ)の出番ですね。初夏も間近の季節の変わり目です。くれぐれもご自愛ください。

かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。

嫌でもお付き合いしていかなくてはならないのが老いと病いです。老いは全員にやってきます。一生病いに見舞われない幸運な人は稀ですね。

老いと病の両方でお世話になるのが薬です。お医者さんが薬を処方してくれることを投薬と言いますが、この「投薬」も実は仏教用語です。

投薬という漢字からは、何だか「投げて薬を渡す」というような語感です。説明抜きの乱暴な渡し方のイメージにつながる漢字ですが、もちろんそんなお医者さんや看護師さん、薬剤師さんはいません。「投げる」という語感を避けるために、与薬、服薬という言葉を使うこともあります。

なぜ「投」という漢字が使われているのでしょうか。この「投」は「薬を投げ与える」という意味ではありません。「投」と言う字の語源には、仏教的意味がこめられています。

お釈迦さまが沙羅双樹の樹のもとで入滅されようとしている(お亡くなりになりそうな)時に、我が子の急を知った天の摩耶夫人(お釈迦様のお母さん)が、天上からお釈迦様めがけて薬を投げました。残念ながら、薬は沙羅双樹の木の枝に引っかかり、お釈迦さまに届きませんでした。

お釈迦さまがお亡くなりになる時の涅槃図をよく見ると、弟子達のみならず、動物達まで嘆き悲しむ様子が描かれています。さらに、沙羅双樹の樹までが悲嘆にくれていますが、その沙羅双樹の樹には薬が引っかかっています。

その薬を取りに行こうとしているのは鼠(ねずみ)ですが、涅槃図によっては猫が描かれているものもあります。また、鼠や猫が描かれていないものもあります。

この仏教的故事から、投与、投薬という言葉が生まれ、用いられるようになりました。「投薬」は決して乱暴な渡し方ではなく、子を思い遣る母親の慈愛に満ちた行為を表す意味で「投」という字が使われています。

 「応病与薬」という仏教由来の四文字熟語もあります。人は性格も悩みも十人十色なので、お釈迦さまが説法する時には相手に合わせた諭し方をしてくださったという故事に因みます。患者さんの病気や体質によって投薬する薬の種類が変わるので、まさしく「応病与薬」ですね。

「応病与薬」と同じような意味で「対機説法」という四文字熟語もあります。相手やその場に合った話をするという意味です。因みに、お釈迦さまは書き物を一切残しませんでした。同じ内容を読んでも人によって感じ方は十人十色のため、「待機説法」するためにあえて書き物は残しませんでした。現代に伝わるお経は、全てお釈迦さまが亡くなった後に弟子たちが思い出して書き起こしたものです。

ではまた来月。ごきげんよう。