日銀・大学院

日銀勤務は伝統ある営業局(現在の金融市場局、金融機構局、決済機構局が合体したような組織)でスタート。新潟支店、大阪支店時代の産業調査、企業調査の中で身に付いたスキルや知識は、現在の国会議員としての仕事にもたいへん役立っています。

最も長く在籍したのは再び配属された営業局。金融政策の企画・実行の現場でバブルの発生と崩壊に直面。護送船団方式と言われた日本の金融行政、金融制度、金融機関が瓦解し、混乱を極める金融界の真っ只中で仕事に没頭。日銀法改正という歴史的局面も経験し、今日の自分につながる政治や経済に対する問題意識が醸成されました。

営業局の後は、従業員組合、システム情報局、政策委員会室で仕事をする傍ら、経済理論や金融政策、政治と経済の関係に関する自分の考え方を整理したいという動機から、新設された早稲田大学大学院社会科学研究科(政策科学専攻)に在籍して研究活動。

公共選択論の大家として知られた山之内光躬先生、地方財政の専門家で英語の達人である林正寿先生の指導の下、修士論文、博士論文を執筆。2000年に同大学院の初の博士号を取得し、無事に大学院生活を終えました。

不思議な巡り合わせです。その直後、知人を通じて民主党愛知県連から2001年参議院選挙への立候補の勧誘を受け、人生が激変。悩んだ末に立候補を決意し、2000年末、約18年間勤めた日銀を退職しました。

この間、日銀バレーボール部でも活動。新人の時には中曽宏先輩(後の副総裁)を擁してインターバンク(銀行間)Bリーグで優勝。新潟支店時代は、地元の社会人チーム北越クラブでプレーしたり、支店に隣接する新潟小学校ママさんバレーチームのコーチとして活動。バレーボールとは縁が切れません。