【Vol.439】抗体検査の精度が鍵

毎年4月に公表される世界報道自由度(情報公開)ランキング。新型コロナウィルス感染症の影響で2020年版の公表が遅れているようです(そろそろかもしれません)。昨年は180ヶ国中67位。2010年には過去最高の11位でしたが、ここ数年間で大きく後退。現下の新型コロナウィルス感染症対策としての「緊急事態宣言」に関しても、政府の情報公開姿勢、説明責任に対する認識の希薄さが懸念されます。


1.底数と基本再生産数

4月7日に発令された5月6日までの「緊急事態宣言」。「当面2週間の様子を見極める」と言っていた安倍首相ですが、それを待たずに4月16日に全国に拡大。

欧米諸国より感染者発生が早く、2月中から「不要不急の外出自粛」を呼びかけ、「瀬戸際」「ギリギリ」発言を続けていた安倍首相。

なぜ4月7日から「緊急事態宣言」となり、なぜ4月16日から全国に拡大されたのか。定性的、情緒的な説明はあっても、定量的、客観的なデータに基づいた説明がないことが気になります。

その展開を理解するうえで「キネティクス(Kinetics)」に基づくデータが有用です。「キネティクス」とは「速度論」と訳され、時間による変化を対象とする研究。感染症に関して言えば、どのぐらいの時間で感染者や死亡者がどの程度増えるかを予測します。

政府が公式な説明をしないため、様々な専門家が独自に情報を発信。過日、東大伝染病研究所(現医科学研究所)出身の黒木登志夫博士のレポートに接し、合点がいきました。

メルマガ前号で感染症対策は、第1段階の封じ込め、第2段階の感染速度抑制、第3段階の感染根絶に分かれることを説明しました。日本は封じ込めに失敗し、現在は感染速度抑制に転じています。

感染者数は指数関数的に増加します。加速度的な右肩上がりの曲線グラフも見慣れたことと思います。

「キネティクス」の観点からは、指数関数グラフを対数分析して片対数グラフ(縦軸が対数)に転換。すると直線が得られ、先行きを予測し易くなります。

高校数学の世界ですが、直線の傾きを表すのが「底数」です。レポートによれば、3月24日を境に「底数」が上昇、つまりグラフが急勾配化。4月4日までのデータから推測すると、4月末の東京都の感染者は32000人、致死率3%とすると死亡者は約1000人強。

こういうデータに基づいて4月7日から「緊急事態宣言」になったとの説明であれば理解できます。政府はそうした定量的、客観的な説明を行う必要があります。

そして2週間を待たずに「緊急事態宣言」を全国に拡大。この間のデータの変化を説明し、国民の納得性を高めることは政府の責務です。

4月15日、政府対策本部の西浦博北海道大学教授が最悪ケースで死亡者約42万人との推計を公表。「個人的推計」としながらあえて公表した背景には、片対数グラフに基づく予測値が悪化していることを想像させます。

翌16日、「緊急事態宣言」が全国に拡大されたことから、その意を強くしましたが、あいかわらず政府からは定量的、客観的データに基づく説明はなし。

「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」というのは「国民に詳しい説明をする必要はなく、お上の方針に従わせておけばよい」という日本の権力の悪しき体質。

死活的犠牲を払って協力している国民に対し、政府が定量的、客観的データに基づいた説明責任を果たすことが必要です。

そうした観点からもうひとつ重要なのは感染者の「基本再生産数」。「1」の場合は1人の感染者が1人に感染させることを意味します。英独政府は「基本再生産数」に基づく説明を行っており、経済活動再開の参考基準としています。

上述の黒木博士のレポートには、今のところ日本の死亡者が相対的に少ない背景に関する興味深い情報も含まれていました。

それはBCG接種との関係です。BCG接種が新型コロナウィルスの感染拡大防止に影響しているとの見方は、どうやら疫学的には相関関係があるようです。

日本は2004年までツベルクリン反応陰性の児童にBCG接種を行っていましたが、現在は生後3ヶ月から6ヶ月の乳児に接種。

イベリア半島では、1981年にBCG接種を止めたスペインが感染爆発に至ったのに対し、接種を続けているポルトガルでは感染者数が相対的に少なくなっています。

ドイツは1998年にBCG接種を中止したものの、それまでは旧東ドイツはソ連株ワクチンを接種。旧西ドイツは欧州株ワクチンを接種。現在の新型コロナウィルス感染症の感染率は旧東ドイツで低く、旧西ドイツで高い傾向が顕著に出ています。

単にBCG接種の有無だけでなく、使用していたワクチン株の差もあるようです。旧西ドイツと同じ欧州株を使用していたフランスも感染拡大が続いています。

中東に目を向けると、日本株によるBCG接種を行っていたイラクは感染が少なく、自国株を使用していたイランは深刻な事態になっています。なお、ワクチン株とは実際のウィルスを予防接種用に弱毒化したものを指します。

しかし、BCG接種と新型コロナウィルスの病理的関係は解明されていないため、医学界は現段階では対策としてBCG接種を行うことは推奨していません。

2.迅速検査と定量検査

メルマガ前号で、集団免疫、PCR検査、抗体検査等について解説しました。4月3日、その内容に基づいて参議院本会議で安倍首相に質問しました。

質問のひとつは、日本が集団免疫戦略を採用しているか否かです。なぜなら、PCR検査件数の少なさから、諸外国では日本が暗黙裡に集団免疫戦略を採用していると推測する向きがあるからです。安倍首相は答弁で否定しました。

ではなぜ検査数が少ないのでしょうか。PCR検査には「発症者対応」と「感染者対応」の2つのアプローチがあります。前者は発症者を対象に感染を確認する検査、後者は未発症者も対象にして可能な限り多くの感染者を探し出す検査です。

早くから未発症感染者にも感染力があることが確認されていた新型コロナウィルス。「発症者対応」では未発症感染者を放置することになり、結果的に感染を拡大させ、未発症(未自覚)者、軽症者は回復後に抗体を有し、免疫を持つことになります。

つまりPCR検査の「発症者対応」は、結果的に集団免疫戦略を採用する場合と同じ現象を容認することになります。

4月13日、さいたま市保健所長が「検査対象者を絞っていた」と発言。理由は軽症者や未発症者感染者が病院にかかることによる医療崩壊を回避するためだったと説明。

また、NHKスペシャル「パンデミックとの闘い」の中で、政府対策本部リーダーである押谷仁東北大学教授はPCR検査数が少ない理由を問われ「それがわれわれのポリシーだ」と答えていました。

両者の発言から推察すると、理由はどうあれ、結果的に集団免疫戦略的現象を容認していたとも言えます。安倍首相の答弁は、その点を認識していないように感じました。

しかし、政府はここにきてPCR検査数を増加させ、緊急事態宣言を全国に拡大させるなど、方針を転換。対策本部も感染者を探す方向に舵を切ったようです。

検査数を増やせば感染者数も増加します。そこで重要になるのが抗体検査。メルマガ前号で示したとおり、「PCR検査で陰性、抗体検査で陽性」の人は行動制限が必要なくなります。

英独はこの考え方に基づいて該当者に「免疫成立証明書」を発行し、優先的に経済活動に復帰させることを検討中。気になるのは抗体検査の精度です。

抗体検査には「迅速検査」と「定量検査」の2種類があり、英独で導入されつつあるのは「迅速検査」。簡単なキットで診療所や自宅で自己検査できるものです。

一方、免疫状態の正確な把握には血中抗体量を測定する「定量検査」が必要です。抗体発生後の時期(初期、中期、後期)によって免疫状態は異なり、正確な把握のためには「定量検査」が必須と聞きました。

抗体にはウィルス感染初期に発現する「免疫グロブリンM(IgM)」と、中期に発現して回復後も血中に残る「免疫グロブリンG(IgG)」の2種類があるそうです。

M陰性・G陰性は「未感染」、M陽性・G陰性は「感染初期」、M陽性・G陽性は「感染中期・後期」、M陰性・G陽性は「治癒後(免疫獲得)」を表します。

英独で使用予定の「迅速検査」キットでは抗体の有無しか判定できず、免疫獲得を証明する「M陰性・G陽性」状態を正確に検出できないようです。

英国は購入した「迅速検査」キットの精度が低いことを認め、スペインも中国から購入した「迅速検査」キットの精度が表示通りでないために返品したと報じられています。

一方、経済再開を優先する米国トランプ政権下では、食品医薬品局(FDA)が米企業開発の「迅速検査」キットを承認。当該キットの検査精度は不明です。

陽性の被検者は行動制限をしなくなりますが、検査精度が低ければ再感染のリスクに晒されます。4月13日、WHOも感染者が抗体を有するようになるかは不明と表明。新型コロナウィルスの特性はまだよくわからない状況が続いています。

信頼性の低い「迅速検査」を拙速利用するよりも、抗体量を検出できる「定量検査」の確立を優先する専門家の意見もあります。「定量検査」を確立したうえで、多くの臨床データに基づいて信頼性の高い「迅速検査」を作るべきとの主張です。

問題はそれまで待てるのか、行動制限を伴う社会的隔離政策を続けられるのか、という点です。欧州各国ではピークアウトを報じ始めていますが、それは集団免疫の成立によるものではなく、ロックアウトに伴う人的接触機会の減少に伴う現象に過ぎません。感染爆発が再燃する危険性があります。

3.新しいBC(紀元前)

抗体検査、血清療法、治療薬、ワクチン等々、新型コロナウィルス感染症を終息させるうえで越えなければならないハードルはかなりあります。

これまでの調査で欧米とアジアではウィルスの種類が異なること(3種以上あること)、既に変異して細かい枝分かれも含めると100種以上になっていること、その特殊性から自然種ではなく人工種の可能性を指摘する専門家もいること等々、様々なことが判明しています。

仮に新型コロナウィルスを乗り越えられたとしても、人類は別の新たなウィルスとの遭遇を回避できません。

地球温暖化の影響によって極地やツンドラ地帯の古代氷床や地表が露出し始めており、封じ込められていた古代ウィルスの暴露が始まっています。数億年前の様々なウィルスとの闘いが続くでしょう。

こうした状況下、私は専門家ではありませんがゲノム解析の重要性は理解できます。ゲノムは「遺伝情報の総体」を意味します。DNA(デオキシリボ核酸)やRNA(リボ核酸)もよく聞く単語ですが、生物の遺伝情報の継承と発現を担う高分子生体物質です。

ゲノムは1920年、独ハンブルク大学の植物学者ヴィンクラーが遺伝子(gene)、染色体(chromosome)、総体(ome)を組み合わせた造語として生み出しました。

DNAは1956年に発見され、その塩基配列の解明は今や生命科学の最重要課題。塩基は酸と対をなして働く物質のことです。

1990年代以降、塩基配列を解読するゲノム解析、ゲノムシーケンシングが各国で行われています。「シーケンス」「シーケンシング」は「連続」「順序」という含意。塩基配列を解明することを表しています。

新型コロナウィルスの塩基は29903個と判明しています。その全ゲノム解析ができれば、ウィルスの特性解明やワクチン・治療薬開発につながります。

しかし、上述のように急速に変異して多種に変容しているため、特定のワクチン・治療薬が恒久的に有効である確率は低いでしょう。

今後どのようなウィルスが発現しても、ウィルス全ゲノム解析とヒト全ゲノム解析が可能であれば、個人に固有の有効なワクチン・治療薬が開発可能かもしれません。

ヒトゲノムの塩基は約30億個。解析にはコンピュータの性能向上が不可欠であり、それが量子コンピュータに期待が集まる一因でもあります。

しかし、全ゲノム解析には時間がかかり、それまでの間、未知のウィルスに遭遇する度に今回のような社会的隔離政策を行うことは困難を極めます。そのため、今回のパンデミックを契機に世界や社会のシステムは劇的に変わっていく可能性が高いと言えます。

人同士の接触を避け、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)が日常的に使われるようになり、ICT(情報通信技術)が劇的に社会を変容させ、未来化を進めるでしょう。

英語圏では「紀元前」を「BC(Before Christ)」、「紀元」は「AD(Anno Domini)」と表記します。それぞれ「キリスト生誕以前」「主(キリスト)の年に」という意味です。

「西暦」は525年にローマの神学者エクシグウスが考案し、731年の「イングランド教会史」という書物に採用されてから徐々に普及。西欧で一般化したのは15世紀以降です。

そして、キリスト教圏欧州諸国の世界進出や植民地拡大によって非キリスト教圏にも「西暦」が伝搬しました。

日本には16世紀に宣教師が伝えたものの、江戸幕府のキリスト教禁教令で「西暦」紀年法も禁止。明治維新後の1872年に天保暦(太陰太陽暦)からグレゴリオ暦(太陽暦)への移行に伴って解禁。しかし、日常生活に普及したのは第2次大戦後です。

今回のパンデミックを契機に国際社会の構造や日常生活の行動様式が激変すると、紀年法のBCが「Before Corona」、ADが「After Disaster(災厄)」と呼ばれるようになっても不思議ではありません。

余談ですが、非キリスト教圏への配慮もあって、最近ではBCをBCE(Before Common Era<共通紀元>)、ADをCE(Common Era)に切り替える動きもあります。2002年にイングランドとウェールズの公立学校が「BCE」「CE」を採用しました。

「BC」の歴史は浅く、今回のパンデミックは「新しいBC」を創造する予感がします。(了)


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