台風7号の影響で東海道・山陽新幹線が15日は計画運休、16日も豪雨で運転見合わせ、17日もダイヤが乱れ、影響を受けた人も多いと思います。
お疲れ様でした。そして猛暑復活。ハワイでは山火事による大災害。温暖化の影響は着実に深刻化している印象です。
地球史的規模での気候変動が原因という主張も聞きますが、人間活動が温暖化を加速させていることは否めないでしょう。
人間活動そのものにも環境変化に対応したリスキリングが必要です。
1.BuyよりもMake
2020年1月、世界経済フォーラム(World Economic Forum)年次総会(いわゆるダボス会議)で「第4次産業革命によって1億3300万人分の新しい仕事が生まれると同時に、7500万人の雇用が新技術によって奪われる可能性がある」との声明が発表されました。
声明は2030年迄に世界の10億人により良い教育、スキル、仕事を提供するための指針として「リスキリング革命(Reskilling Revolution)」を公表しました。
その9ヶ月後の2020年10月、様々なステークホルダーが集まった「ジョブ・リセット・サミット(JRS)」を開催。新型コロナウイルスの流行を勘案したレポート「The Future of Jobs Report 2020」をまとめ、パンデミックとデジタル化の進展を展望し、「今後5年間で人間、機械、アルゴリズムの労働分担が進むことによって、8500万人の雇用が消失し、9700万人の新たな雇用が創出される」可能性があると予測。
ダボス会議の1月は新型コロナウイルス感染症発生直後で、まだ経済への影響が出ていなかったのに対し、JRSが開催された10月は既に経済が甚大な影響を受け始めていた時期。
その実態を踏まえ、将来の影響を勘案し、「『未来の仕事』への円滑な移行のためには多くの労働者が2025年までにリスキリングを受ける必要がある」と提起しました。
欧米ではリスキリングは2010年代から潮流になっていましたが、2020年のこうした動きがさらに流れを加速。コロナ禍を契機にデジタルトランスフォーメーション(DX)も普及し、労働市場で求められるスキルが急速に変わりつつあります。
日本については、ダボス会議で「労働人口減少、低い労働生産性、地方と都市間格差、デジタル格差、過去30年間の賃金水準停滞等々の課題を抱えている。
2030年には生産職や事務職が210万人過剰になる一方、専門技術職は170万人不足する。この需給ギャップ拡大を食い止めるには、余剰人材をデジタル人材等に転換させるためのリスキリング実行が極めて重要」と指摘されてしまいました。
そうした中、2021年に岸田政権が発足。2022年10月、岸田首相は個人のリスキリング支援に5年で1兆円投じると表明。リスキリングと同時に、正規と非正規の待遇格差是正、労働者の転職・副業・訓練に取り組む企業への支援についても言及しました。
今年1月23日に行われた施政方針演説で、岸田首相は重ねてリスキリングの重要性を強調。「GX、DX、スタートアップ等の成長分野に関するスキルを重点的に支援する」と発言しました。
リスキリングはデジタル分野だけとは限りません。経済協力開発機構(OECD)による2021年「日本における社会に対応する成人学習の機会をつくる(Creating Responsive Adult Learning Opportunities in Japan)報告書」は、女性や高齢者の雇用と非正規労働の増加を受け、日本の労働人口構成は激変し、労働市場にはスキルの偏りが生じていると指摘。
成人の学習機会へのアクセスを増やし、学習機会提供の対象者や市場ニーズと提供内容のマッチング、キャリアガイダンスを行うことが日本の課題であると言及しています。
上述のとおり、欧米ではコロナ禍前からリスキリングはブーム化していました。IT等の技術革新進展が背景です。少し事例を紹介します。
Amazonはコロナ禍前の2019年7月、2025年までに7億ドルを投じて従業員10万人をリスキリングすることを発表。従業員1人当り投資額は約7000ドル(1ドル150円換算で105万円)であり、企業による従業員リスキリング事業としては最大規模です。
Amazonが求めるのはデータマッピングスペシャリスト、データサイエンティスト、ビジネスアナリスト等の高度スキル人材です。具体的なプログラムとして、非技術系従業員を技術職へ移行させる「Amazon Technical Academy」、テクノロジーやコーディングといったデジタルスキルを持つ従業員の機械学習スキル獲得を目指す「Machine Learning University」等を整備し、従業員のデジタルスキル底上げを企図しています。
世界最大の小売りチェーンWalmartは、社内研修にバーチャルリアリティ(VR)を導入しました。2016年に試験的に5店舗にVR機器を導入、2018年9月には全米約1万7000拠点にVR機器を設置しました。
発生頻度が低いイベントや自然災害等のトラブルに備え、経験がない従業員でも即戦力となれるようにVRを活用して実践的スキルを身につけるリスキリングが行われています。
ネット注文した商品を店舗で受け取るサービスのための専用機械「ピックアップタワー」等の新たな設備を店舗に導入する際にも、VRを活用して事前に取扱方法を身につけています。Walmartは従業員が小売りのDXに対応できるようになるためのリスキリングを、テクノロジーを使って支援していると言えます。
従来、戦略転換に伴う人材ニーズの変化にはリストラと新規採用(Buy)で臨むのが米国企業の主流でしたが、リスキリングによる内部育成(Make)で対応する潮流が生じています。
2.フレキシキュリティ
日本では「北欧からリスキリングを学ぶ」という趣旨の勉強会やセミナーが多数開催されていますが、焦点がずれている企画も少なくありません。
残念ながら日本ではリスキリングの定義が正確に共有されていません。よくある誤解のパターンは「IT系スキルを身に着けること」「リカレント教育と同じこと」というものです。また、今の業務をより迅速かつ正確に行えるようになるスキルアップとも異なります。
リスキリングの類型を整理すれば、第1に同業を続けるうえでの新スキル(例えば前項のWalmartのケース)、第2に他業に転職する際に必要なスキル、第3に技術進歩等に対応したスキル、の3つと言えます。
リスキリングに関するセミナー等の中には「自分を見つめ直しましょう」的な自己啓発セミナーのようなものも少なくありません。
蛇足ですが、リカレント教育に関しても誤解されています。あくまで職能教育であって、人生を豊かにする教養等の生涯教育、リタイア後の余暇教育ではありません。
以上を踏まえたうえで、元祖リスキリングと言われるデンマークの調査データを見ると、異業種研修を受けた労働者は受けていない労働者よりも転職率が高くなっています。つまり、目的意識を持ったリスキリングであり、上記類型の第2に当たります。
デンマークにおけるリスキリングの前提にある社会環境は、企業が従業員を解雇しやすい雇用の柔軟性(フレキシビリティ)と失業補償や職業訓練による労働者の安全性(セキュリティ)の両方を兼ね備えた「フレキシキュリティ」という概念です。
1960年代に端を発するフレキシキュリティに基づく労働政策が顕著に効果を発揮し始めたのは1990年代半ば以降です。リスキリングや再就職活動に取り組まないと失業補償を減額する制度を導入したことを契機に、10%前後で高止まりしていた失業率が急低下。失業していない人もリスキリングに取り組むようになりました。
制度導入に伴い3000種類以上の職業訓練を無料で提供するプラットフォームを整備。労働者の約3割が過去1ヶ月以内に何らかのリカレント教育や職業訓練を受けているそうです。職業訓練の種類は、労使が協議し、生産やサービスの現場、ビジネス環境の変化等を踏まえて入れ替えているため、実用性が高いと言われています。
「失業した日から再教育を受ければ就職にプラス」「訓練を経た労働者が必要」「人を企業に縛り付けない」「労働者のキャリアライフを社会全体で活かす」という考え方が定着しており「4時に仕事を終わらせるのは普通。勉強だと言えばもっと早く退社可能」。いずれも今から6年前、2017年のデンマーク訪問時に聞かされた話です。今も変わりないでしょう。
デンマークの労働政策への公的支出(2019年)はGDP比2.8%と日本の約9倍、職業訓練支出はGDP比0.36%と日本の36倍です。
もうひとつリスキリングの盛んな国、スウェーデンをご紹介します。手厚い職業訓練や就業支援により、スウェーデンは失業者が早期に労働市場に復帰できる「トランポリン型社会」と言われています。
スウェーデンは、2008年リーマン・ショック後に自動車メーカーからの支援要請を政府が拒絶したことが象徴するように、衰退産業や企業を政策的には救済しない方針を貫いています。より成長性の高い産業や企業へ労働力を移動させた方が国の新陳代謝を高められるとの判断です。徹底しています。
業績悪化を理由とした整理解雇も容易なため、不況期には失業率が高まります。「守るべきものは雇用ではなく労働者」という考え方がベースにあります。これも2017年にデンマークに続いてスウェーデンを訪問した際に聞かされた台詞です。充実した職業訓練や再就職支援は労働力を成長分野へ移動させる原動力になっています。
スウェーデンの職業訓練制度の中核はYrkeshögskolan(YH)という高校卒業者象の高等職業教育システムです。2年間のフルタイム教育を基本とし、座学と企業研修を組み合わせた実践的教育内容を特徴としています。パートタイムで勉強する場合、44週間以上2年以内の範囲で自分で選択できます。
僕が訪問した2017年で全国に約230校でしたので、現在は300校近くに増えていると思います。2017年当時で約5万人が通い、平均年齢は32歳と聞きました。
YHの約6割は民間企業が運営しており、残りの過半は市町村等の公立。学費は無料。在学中、生活費を補うために教育ローンも利用可能と聞きましたが、メルマガを書くに当たって調べたところ、2022年からさらに充実。
失業している場合には、YHに通うこと(つまりリスキリングに取り組むこと)を条件に失業時給与の最大80%までを国の補助金として給付し、さらに必要に応じて収入補填のために教育ローンを利用できるようになったそうです。つまり、家族がいる場合には、所得水準を落とさずに2年間、リスキリングに取り組めるということです。
3.ラストイン・ファーストアウト
YHの原型組織は1990年代半ばに試験的に始まり、2002年に中学卒業者以上を対象とする Kvalificerad yrkesutbildning(KY)という制度が整備され、2009年から高校卒業者以上を対象とする現在のYHに移行しました。
YHは高等職業教育庁(Myndigheten för yrkeshögskolan、MYH)監督下に置かれています。MYHは職員数約100人の小規模な組織ですが、各地の学校から提出されるコース設置申請等を審査して補助金支給を決定したり、YHの運営をチェック。現在約300職種のコースが設営されています。
YH整備の背景には、学校教育が産業や社会の実態に適合した人材育成に結び付いていないという問題意識があったようです。そこで、YHは訓練職種や授業内容を産業界と協議して決定するとともに、MYHがYHを評価する際の基準も、入学希望者数、卒業者数、就職決定者数等を定量的データを用いています。
YH運営経費の約8割は国が拠出し、残りは企業や産業界が負担していますが、企業・産業界は「YHは人材確保に資する」と評価しています。
スウェーデンでは高校や大学卒業後に数年間海外を放浪し、その後就職する若者が少なくありません。それに加えて「ラストイン・ファーストアウト」と呼ばれる解雇慣行があり、余剰人員が発生した場合は勤続年数の短い労働者から解雇されるため、若年層の雇用は不安定です。しかし、YHによって職業教育制度がいつでも無償で受けられることが、若年層の安心感につながっています。
組織率約7割を誇る労働組合もスウェーデンの労働市場に深く関与しています。失業者の再就職支援、早期の労働市場復帰に具体的に貢献しています。
労組は業種や職能別に細かく組織化され、ブルーカラー系、ホワイトカラー系、大卒専門職系の組合が、労働組合総連合(LO)、職員組合連合(TCO)、専門職労働組合連合(SACO)という3 つの大きな全国組織に所属しています。
スウェーデンでは「人員余剰」が解雇理由として認められるため、整理解雇は日常的に行われています。その一方、労使双方によって「職業安定評議会」という非営利組織が設置されており、失業者の再就職支援、収入補填を担っています。
具体的には、ブルーカラー対象のTrygghetsfonden(TSL)、ホワイトカラー対象の Trygghetsrådet(TRR)のほか、公務員、銀行員、不動産事業者等、特定セクターを対象とする組織もあります。
スウェーデンはかつて繊維や造船が盛んでしたが1960年代以降に衰退。失業者が急増したものの公共職業安定所だけでは対応できず、こうした組織が設立される契機となりました。
最も歴史の古いTRRは、経営者団体であるスウェーデン産業連盟(現在のスウェーデン企業連盟SN)とTCO・SACO 連合体である連合交渉カルテル(PTK)の合意によって1974 年に設立されました。
職員数約300人、全国約40支部のTRR加盟企業は約3.5万社。傘下に約100万人のホワイトカラーを抱えます。エリクソン、ボルボ等の大企業も含まれ、TRR運営費用を負担しています。政府からの補助は受けていません。
TRRの役割は、第1に失業者の再就職支援、第2に収入補填です。年間約3万件の相談が寄せられ、YH等での職業訓練を受けることを薦めたり、公的失業給付水準と失業前70%所得の差額を補填します。
また、スウェーデンの労組はクラウドワーカー保護にも注力しています。クラウドワーカーとは、例えばUBER(ウーバー)宅配事業者のようにインターネット・プラットフォームを通じて個人単位で仕事を請け負うX労働者のことです。スウェーデンでは労働者の約2割を占めています。
クラウドワーカーは各国で増加していますが、個人事業主であるため、労働基準法・労働災害法・最低賃金法・労災保険・雇用保険等の保護を受けられない状態にあります。
TCO 傘下で約70万人の組合員を抱えるUNIONEN(ユニオネン)は、多くのクラウドワーカーが加入しており、仕事を仲介しているプラットフォーム企業と賃金等の労働条件を交渉しています。また、職業訓練等、クラウドワーカーのリスキリング機会を保障する要求も始めているようです。
スウェーデン労働市場の特徴は、女性と高齢者の労働力率が高いことです。男性にも育児参加を促す育児休暇制度に加え、税制や年金制度が個人単位であることが女性の就労インセンティブを高めています。長く働き続けることで年金受給額が増えるほか、高齢者を雇えば企業の社会保険料負担も軽減されます。
高齢者の就労意欲を高める一方、企業の高齢者雇用意欲を高める制度設計になっています。
スウェーデンでもかつては日本と同様に夫婦単位の課税が行われていましたが、1971 年から個人単位課税に転換したのを契機に女性の社会進出が飛躍的に伸長。日本にような配偶者控除、医療保険等に纏わる「収入の壁」は存在していません。
女性の社会進出が進んでいるにもかかわらず、出生率は先進国の中で高い水準を維持しています。高い女性就業率と出生率の両立を可能にしているのは、男性にも育児負担を分散させる男女平等型の育児休業制度です。
育児休業保険はかつて「母親保険」という名称でしたが、1974 年に「両親保険」と改名。父親も利用可能になりました。1990 年代以降は育児休業手当の受給権を夫婦間で譲渡できない「パパ・クォータ制」や、育児休業の取得日数を夫婦間で等しくするほど税額控除が受けられる仕組みが導入されました。今やホワイトカラー層男性による育児休業取得6ヶ月間は一般的になっています。
「高福祉・高負担」国家のスウェーデン。国民負担率は約60%と、日本の約45%を大きく上回ります。付加価値税(消費税)も標準税率で25%と高い水準です。一方、教育費は大学院まで無料、医療費も自己負担額上限(外来診療費で年間1万円強)超過分は無料です。
「高福祉・高負担」だと人々の労働意欲や企業の投資意欲を阻害し、経済成長にマイナスと想像してしまいますが、スイスのビジネススクール(IMD)や世界経済フォーラム(WEF)による世界競争力ランキングで、スウェーデンは常にトップテンに入っています。
スウェーデンで高福祉・高負担・高競争力を実現している要因のひとつが「トランポリン型社会」を実現している「積極的労働市場政策」です。
日本はリスキリングを単なるコピーブームに終わらせず、就業支援や職業訓練の重要性、女性就業や高齢者就業の促進策について、真剣に考え、実践することが急務です。
(了)