皆さん、こんにちは。春真っ盛りです。過ごしやすい季節になりましたが、朝晩は肌寒い日もあります。くれぐれもご自愛ください。

かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。

四月と言えば、入社の季節。「あの新入社員は融通がきくね」「彼は融通がきかないな」などという会話が飛び交いますが、「融通がきく」とは、物事を「滞りなく進める」「うまく運ぶ」ことを意味します。

転じて「金銭のやりくり」を表す言葉としても使われます。お金を借りる時に「いくらか融通してもらえませんか」とも言います。「資金を融通」するから「融資」という言葉が生まれました。

そもそもは「華厳経(けごんきょう)」に登場する「融通無碍(ゆうづうむげ)」から派生した言葉です。「融通」とは、別々のものが融け合い、通じ合い、全ての事象・事物が相俟って完全なものとなることを意味する仏教語です。「無碍」とは「何ものにも邪魔されない」ことを意味し、「無礙」と表記する場合もあります。

つまり「融通無碍」とは、万物はそれぞれ孤立して存在するものではなく、互いに関係があり、よく調和しているということを指します。

融通念仏宗の良忍上人は「一人の念仏が万人の念仏に通じる」と説き、人々の念仏が相互に融通し合うという世界観を「融通無碍なる念仏」と表現しました。

日常会話で「融通がきく」と表現する場合は「臨機応変にその場に相応しい対応ができる」というポジティブな意味で使われることが多いですが、「彼は融通無碍だからな」と言って首尾一貫しない姿勢を揶揄するネガティブな意味が込められることもあります。

お金の「融通」は個人の利得や利便のための言葉に転じており、いささか我欲に通じる趣に変わっています。本来の「融通」がこうした意味に転じているのも、人間の心の為せる業。

仏教における本来の「融通無碍」は「考え方や行動が何物にも束縛されず、どのような事態にも自由自在に対応できる」ことです。「自由自在」も仏教用語。自分勝手に振る舞うことではありません。欲や拘りから解放され、覚りの境地であることを意味します。

「通達無碍(つうだつむげ)」という言葉もあります。個人的には大好きな仏教語です。「通達(つうたつ)」は役所などから回ってくる通知を指しますが、もともと「つうだつ」と濁って読む仏教語です。仏道に深く達している覚りの境地を意味しますが、日常会話的には「周囲や相手の心を見通す」という意味で使われます。

「通」は「知り尽くす」という意味。「食通」の「通」もここから来ています。「知り尽くしている」のが仏教の「通達」であり、「知らしめる」ための役所の「通達」とは真逆です。

余談ですが「無下」と「無碍」も間違えないでください。意味が大きく異なります。「無下」は「考慮する必要がないとして冷たく扱う」ことです。つまり「無下にする」は「ひどい扱いをする」という意味です。

毎日を融通無碍、通脱無碍の心境を過ごしたいですね。ではまた来月。