皆さん、あけましておめでとうございます。今年もかわら版、よろしくお願いします。寒い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。

かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。

今年もいろいろ悩み事や判断しなければならないことがあって、「どうしようか」「ああしようか」と葛藤しますね。と言って使った「葛藤」も仏教用語です。

お経にも登場します。「法句経」は「愛結(煩悩)は葛藤の如し」と記し、煩悩を「葛藤」に喩えています。また「出曜経」は「愛綱(愛欲の綱)に堕する者は必ず正道に敗れ究竟に至らず」と説いていますが、「愛綱」は上述の法句経の「愛結」と同じようなことを指しています。要するに「葛藤」の反対語が「正道」であるとも言えます。

葛(くず、かずら)はマメ科のツル性多年草、藤はマメ科のツル性落葉木本です。どちらも、樹木に絡みつくマメ科のツル草で、ほかの木や古い家の壁などに張りついている姿をよく見かけますよね。我が家の庭にもあります。

何だか複雑に絡み合って、剥がすのが大変そうなのが葛と藤です。ツル草が生い茂って縺(もつ)れて解けない状態、気持ちが複雑に絡み合ってスッキリしない状態を「葛藤」という言葉で表現しています。

法句経や出曜経の「愛綱」「愛結」は愛欲だけを指すのではなく、人間の欲つまり煩悩のことです。ツル草は樹に纏わりつき、ついには纏わりついている樹を枯死させてしまいます。欲が纏わりついている樹とは、すなわち人です。人が欲の葛藤から抜け出せないと、最後は自滅してしまうことを諭しているのが「葛藤」という言葉です。

ツル草の葛や藤が生い茂り、複雑に纏わりつくと、簡単に剥がしたり、解き放つことができないように、私たちを悩ませる欲や愚痴などの煩悩は容易に断ちきることはできないことを教えてくれています。思い当たることがいっぱいありますね。

禅宗では、意味の解きがたい語句や公案(禅問答)の意味でも使われます。つまり「葛藤」とは文字や言句のみに囚われることの喩えとして用いられる一方、逆説的に文字や文章では表現し切れない覚りの深遠さも示唆しています。そして、「葛藤」を一挙に断ち切るひと言を「葛藤断句」と言います。公案の際に、例えば「生きるとは何ぞや」と問うたのに対して「欲との闘いなり」と「葛藤断句」で応じる、という感じです。

「葛藤」は心の中での「欲求の対立」という心理学の用語にもなりました。高名な精神分析学者フロイトが使った「conflict」という言葉が日本に紹介された際、訳語として「葛藤」が当てられました。なお、一般英語としては「対立」「衝突」等の訳語が定着しています。

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」夏目漱石の「草枕」の有名な一節です。漱石は心の葛藤を巧みに表現しています。よくわかりますよね。

「生か死か、それが問題だ」というハムレットの有名な台詞も「葛藤」の真骨頂。人間は欲の塊ですから、葛藤するのは当たり前です。ではまた来月。