皆さん、こんにちは。立秋も過ぎ、暑い夏も後半戦。くれぐれもご自愛ください。

お釈迦様の教えを噛みしめながら、社会や人のあり方を考える「耕平さんかわら版」。先月に引き続いて「苦」について考えます。

犬山寂光院で高名な宗教評論家、ひろさちやさんの講演を拝聴。さすがですねぇ。軽妙なトークの中に、仏教の真髄をちりばめてお話してくださいました。

曰く「わからないことはわからないということをわかるということがわかるということ」。何だか呪文のようですが、「な~るほど」と得心。

「苦」の本質は「思うようにならない」という苦しみ。それを「思うようにしたい」というのは「欲」のなせる業(わざ)。業は「ごう」とも読みます。人の業が欲を生み、欲が苦を生む悪循環。

「わからない」ことを「わかりたい」と思うのも「欲」。「思うようにならない」ことを「思うようにしたい」と行動するのも「欲」。

自分の価値観や深層心理の中で欲していることと異なることは、自分としては「わからない」こと。それを自分の納得のいくようにしようとすること、つまり「わかりたい」「思うようにしたい」という気持ちが「業(ごう)」につながります。

先月号では「三苦」を学びましたが、「業」にも「三業」があります。

身業(しんごう)は行動に表れる「欲」。口業(くごう)は言葉に表れる「欲」。妄語(もうご)・両舌(りょうぜつ=二枚舌)・悪口(あっく)・綺語(きご=飾った言葉)。

意業(いごう)は意識に表れる「欲」。貪欲(とんよく)・瞋恚(しんい)・邪見(じゃけん)ですが、「三毒」を連想しました。

「三毒」は仏教において克服すべきものとされる三つの煩悩「貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)」。つまり「貪り(むさぼり)」「怒り」「迷い(愚かさ)」。

いずれも「欲」に起因し、「わからない」ことを「わかりたい」、「思うようにならない」ことを「思うようにしたい」という「意業」が「口業」「身業」を招き、「三毒」につながります。

人と人、国と国の間でも、相手のことが「わからない」「思うようにならない」という「業」と「欲」が「苦」につながり、争いごとや不満、不安の「三毒」を生み出します。

仏教の教えは、日常生活においても、政治においても、多くの気づきを与えてくれます。ではまた来月。

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