【第149号】諸悪莫作・衆善奉行

皆さん、こんにちは。十一月になりました。早いものですねぇ。寒く日が多くなりましたので、くれぐれもご自愛ください。

お釈迦様の教えを噛みしめながら、社会や人のあり方を考える「耕平さんかわら版」。先月は「無分別」「裁かない」ことの大切さ、「正邪」「善悪」を決めることの難しさを学びました。

すると「何が善悪か一概に言えないということは、何でも好きなようにしていいってことですね」という人がいましたが、それは屁理屈というものです。

お釈迦様は次のような教えを残しています。曰く「諸悪莫作(しょあくまくさ=悪いことをしない)」「衆善奉行(しゅぜんぶぎょう=善いことをする)」。

どこの親でも子どもに言います。「悪いことをしてはいけない」「善いことをしなさい」。でもお釈迦様の「諸悪莫作」「衆善奉行」はひと味違います。

「悪いこと」を「してはいけない」のではなく「しない」、「善いこと」を「しなさい」ではなく「する」。そうです。言われて従うのではなく、自分の意思で「悪いことをしない」「善いことをする」のです。

唐の詩人・白居易が禅僧・道林に「仏教の真髄とは何か」と訊ねました。道林曰く「悪いことをしない。善いことをする」。「そんなことは三歳の子供でもわかる」と白居易が言うと「三歳の子供でもわかることを、八十歳の老人でもできていない」とたしなめられ、白居易が平伏したという逸話があります。

「わかる」ことと「できる」ことは違います。九月号の「覚る」と「解脱」の違いと同じです。何が「悪」かは、ふつうに考えればわかること。

仏教の五戒(不殺生戒、不偸盗会戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒)もそのひとつ。

お釈迦様曰く「生まれを問うことなかれ。行いを問え。生まれつきの善人も悪人もいない。行うように人は作られ、行うとおりに成る」。深いですねぇ。

呼吸のように、とくに意識することもなく「悪いことをしない」「善いことをする」。

「できる」ことが大切であり、「わかる」だけでは無意味です。それが仏教の真髄。

道にゴミやタバコを捨てる人、まわりに迷惑をかける人。いますねぇ。

ひとりでも多く「諸悪莫作」「衆善奉行」な人が増えれば、ずいぶん心地の良い社会になるでしょう。

仏教の教えは、日常生活においても、政治においても、多くの気づきを与えてくれます。ではまた来月。

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