柏崎・刈羽(新潟)と泊(北海道)の原発再稼働が決まりました。温暖化が深刻化し、AI等の技術革新によって電力需要が急増する中、原発をどのように安全かつ安定的に運用、活用していくかは非常に重要な課題です。今回は、「原子力損害の賠償に関する法律(原子力損害賠償法)」制定の経(歴史的背景)や内容(制度の骨格)を整理します。
1.政府補償契約
1953年、米アイゼンハワー大統領が「Atoms for Peace(原子力の平和利用)」を提唱。
これを機に「原子力の平和利用」は国際的潮流となり、1955年、日本でも原子力基本法が制定され、原子力委員会が発足し、民間企業にも研究・開発が許可されるようになりました。
1957年、東海村で日本初の原電(日本原子力発電株式会社)の商用原子炉が着工し、1960年代初頭には各電力会社が次々と原発計画を策定しました。同時期、欧米で「原子力事故が起きた場合の賠償制度」が議論されるようになり、1960年にOECD主導で 「パリ条約(原子力損害民事責任条約)」、IAEA(国際原子力機関)主導で「ウィーン条約(原子力損害補償条約)」が成立し、事故リスクに備える国際的・法的枠組みも形成されました。
日本では、原子力特有の事故時に「甚大な損害」が想定されるため、民間企業だけでは責任負担が困難であり、国として統一的な賠償・補償制度の必要性が議論されるようになりました。
その結果、1961年に「原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)」が成立。制度の基本構造は、上述の国際原子力賠償法制の原則を踏まえつつ、日本独自の「政府補償」を組み込んだものです。その骨格は下記のとおりです。
第1は「無過失責任主義(第3条)」。原子力事業者すなわち原子炉等の運転者(電力会社等)は過失の有無にかかわらず、原子力損害に対して賠償責任を負います。原子力事故は「高度に危険」かつ「被害立証が困難」なため、被害者保護のため、厳格な無過失責任を採用しました。
第2に「責任の集中(チャンネリング)」。事故原因に製造メーカー・建設業者・輸送業者等の過失があっても、被害者の損害賠償請求が容易になるよう、請求相手は原子力事業者(電力会社等)に集中させました。
この仕組みにより、被害者は「誰に請求すべきか」を迷わず迅速な救済が可能となるとともに、メーカー等の関係企業間の責任追及による訴訟連鎖を防ぐことによって、原発建設を円滑に進める産業政策的側面もありました。
第3に「責任限度額制度」。当初は原子力事業者が負う賠償額に上限を設定し、原子力事業者の損失は保険でカバーさせる仕組みでした(1961年当初は50億円程度)。この上限額は後年の法改正で段階的に引き上げられ、現在では事実上、実質的な無限責任に近づいています。
第4に日本独自の「損害賠償措置(保険・政府補償契約)」。原子力事業者は、事故が起きた際の賠償資金を確保するため、民間保険あるいは原子力損害賠償補償契約(政府との契約)のいずれかを義務づけられています(第7条)。
「政府補償契約」は日本の制度の独自性であり、政府が一定額まで原子力事業者の代わりに被害者に補償を行う仕組みです。
第5に「国の援助(第16条)」です。賠償額が原子力事業者の補償能力や保険で賄えない場合、政府は「必要な援助を行う」と規定しました。被害拡大時に国が財政的に後方支援する仕組みです。
2011年の福島第一原発事故では、この第16条が根拠となり、国による巨額の資金投入(東電救済)が行われました。
第6に「異常に巨大な天災地変」などの免責(原則的には限定的)です。原則として、原子力事業者は免責されません。例外は「異常に巨大な天災地変又は社会的動乱」による事故の場合です。
しかし、福島第一原発事故時の地震、津波であっても免責は認められませんでした。その定義や程度については、今後も議論の対象です。
2.独自色
2011年3月11日の福島第一原発事故は、原賠法の制度全体を実務的に見直す(整備する)契機となりました。主な変化は以下の3点です。
第1に、賠償額の巨大化に伴う「実質的無限責任」への転換。福島第一原発事故では賠償額が10兆円規模に到達し、当時の民間保険や政府補償契約(1200億円)では到底賄えませんでした。
事業者(東電)だけでは賠償責任を負いきれず、国が第16条に基づいて巨額の公的資金(交付国債)を注入し、東電は「実質国有化」へ移行。名目上の限度額制度(民間保険や政府補償制度)は機能せず、事実上は無限責任化したと言えます。
第2に「原子力損害賠償・廃炉支援機構」の創設(2011年)。東京電力を破綻させると被害者が救済されないという観点から、政府は特別法により以下の枠組みを作りました。
一般社団法人「原子力損害賠償・廃炉支援機構(NDF)」を設立し、電力各社が拠出金を払い、電力会社間の「共助」構造を形成。
国が機構に資金を交付し、機構から東電へ支援金が流れる仕組みです。これにより、被害者賠償を止めないための「事業者救済及び賠償継続」モデルを構築しました。
第3に「中間指針」「追補指針」による賠償範囲の標準化を行いました。原賠法そのものは「どこまで賠償対象にするか」が明確でなかったため、文部科学省の「原子力損害賠償紛争審査会」が、中間指針(2011年)、追補指針(2012年)、個別分野指針(避難指示区域、生業損害、精神的損害等)を作成し、賠償範囲の統一基準を制度化しました。
第4に福島事故後の複数回の法改正(2012年から2015年)。原子力事業者の賠償措置額(民間保険及び政府補償)の増額、損害賠償の迅速化、原子力事業者の安全確保に関する規律強化、原賠法の見直しを継続的に行う旨の法定化等が行われました。
第5に免責規定の運用見直し、すなわち「異常に巨大な天災」の定義に関する議論です。
その結果、免責規定の文言そのものは維持されましたが、結局、福島第一原発事故での地震や津波でも免責は認められず、その定義については依然として流動的です。
以上の変化を踏まえて現状の枠組みが、日本の現賠法の内容をパリ条約、ウィーン条約と比較すると、以下のとおり「独自色が強い制度」と言えます。
第1に、 法的枠組みの基本構造に関しては、日本の原賠法、パリ条約、ウィーン条約とも「原子力は特殊で危険」故に「原子力事業者が一括して責任を負う」という点は共通しています。
その結果、無過失責任、責任集中(チャンネリング)、免責規定は共通していますが、上述のとおり、日本の免責規定は非常に限定的です。
第2に、パリ条約、ウィーン条約は責任限度額を設定している(一定額までの責任に限定している)のに対し、日本の原賠法は形式上、概念的には上限設定がありますが、福島第一原発事故後は事実上無限責任化(国が補完しつつも、責任は原子力事業者)し、結果的に日本だけが「上限の実効性が消滅した」枠組みとなっています。
第3に、国の補完制度の違いです。補完制度の内容は国ごとに異なりますが、日本の「政府補償制度」は世界で最も「国が前面に出る」制度です。
上述のとおり、日本の原賠法では国の援助義務が第16条に明記されていますが、パリ条約、ウィーン条約ではそうした内容は明記されていません。
第4に、被害者救済の柔軟性です。日本は上述のとおり、「中間指針」等によって賠償範囲を行政的に決めるため、その対象は広範にわたり、他国と比較すると非常に広い範囲をカバーしています。
具体的には、紛争審査会の審議等によって、次のような非常に広範囲の損害が賠償対象となっています。
「人身損害」の場合、治療費、入通院慰謝料、後遺障害、逸失利益、死亡慰謝料、付添費、等です。
「財物損害」の場合、家屋・土地の価値減少、家財・自動車の損害、汚染除去費用(除染費用)、等です。福島では「除染費用」が数兆円規模に及びました。
ほかにも「営業損害」(生業損害)、「避難・生活損害」、「精神的損害(慰謝料)」、「自治体損害」の場合等について、幅広く対象にしています。
新しい領域である「環境損害」についても、土壌汚染、森林・海洋汚染、放射性廃棄物処理等を含み、国際的にも例が少ない「広域・長期の環境損害」が賠償対象化しました。
3.再稼働16基
福島第一原発事故(2011年)後、日本の全原発は停止しました。その後、新規制基準の下で安全審査を経て、2015年以降徐々に再稼働が進み、現在は全国で14基が稼働しています。柏崎刈羽原発(新潟)と泊原発(北海道)の再稼働容認を経て、全国で16基が稼働することになります。
福島第一原発事故が原因で、安全性への不安から全国の原発が全停止に至りました。定期検査を終えた原発も再稼働できず、「原発ゼロ」状態となりました。
2013年に新規制基準が策定されました。原子力規制委員会が厳しい新規制基準に基づいて、耐震性、津波対策、テロ対策等を課す枠組みがスタートしました。
2015年、九州電力川内原発1・2号機(鹿児島)が新基準下で初の再稼働。2016年、関西電力高浜原発3・4号機が再稼働(但し、裁判所の差し止めで一時停止)。2017年、四国電力伊方原発3号機が再稼働しました。
以降、再稼働は徐々に拡大し、関西電力大飯原発3・4号機、高浜1・2号機、美浜3号機等、西日本を中心に再稼働が進みましたが、東日本では女川原発2号機(宮城)が唯一再稼働決定。
2022年以降、政府が「原発最大限活用」を掲げ、電力需給逼迫や脱炭素の観点から再稼働を推進。財政支援を原発周辺自治体の30km圏まで拡大したり、避難道路整備を国費で負担する等の対応も奏効し、女川2号機の再稼働準備が進むなど、東日本でも再稼働の動きが広がりました。
そして今回、柏崎刈羽・泊原発の再稼働が容認され、年度内に再稼働する見込みです。東電としては、福島事故後初の再稼働です。
柏崎刈羽原発再稼働容認に伴い、来年夏の首都圏の電力不足懸念は少し改善されました。
来年夏は火力発電の補修や休止が重なり、柏崎刈羽の再稼働がなければ「節電要請」水準まで電力が不足する可能性が高かったでしょう。
柏崎刈羽は、技術的な安全性を判断する原子力規制委員会の審査に2017年12月に合格しましたが、東電の不祥事により同委から事実上の運転禁止命令を受けた期間も含めて約8年間、再稼働ができませんでした。
泊原発(北海道)でも地元同意が進み、再稼働容認。この2つの再稼働で、全国で16基運転体制になります。現状、原発比率は電源構成の約1割弱ですが、政府は2040年度に2割程度まで引き上げることを目標にしています。
2034年度の電力消費量は24年度から6.2%増えます。データセンター向けなどの需要を満たせるかどうかは日本の将来の国力を左右します。日本が脱炭素や産業競争力の強化を実現するためには原発が欠かせません。
福島事故から14年かけて16基体制になったわけですが、事故時の国と電力会社の責任分担等の課題は残ったままです。
柏崎刈羽の場合は、主要な避難道の整備を国費で全額負担し、補助金の対象自治体も広げるといった特例的な対応で政府が同意を後押ししました。
しかし、こうした金銭解決に依存することなく、より迅速で現実的な解決を目指すならば、安全審査を通った原発は、ルールに従って再稼働できる仕組みづくりが望ましいでしょう。そのためには、再稼働の可否判断に国がより積極的に関わるべきです。
日本は国策民営で原子力事業を進めてきましたが、上記のとおり、大事故を起こせば事業会社がすべての責任を負います。原子力損害賠償制度にある「無限責任」ルールです。電力会社が原発活用に前向きになることの障壁となっています。
福島事故当時、前代未聞の過酷事故に対し、当初、東電と大手銀行は水面下で「有限責任」を主張しました。上述のとおり、原賠法に「異常に巨大な天災地変または社会的動乱」によって引き起こされた損害については事業者の賠償責任が免除されるとの例外規定があったからです。
しかし、これは認められず、東日本大震災が「なぜ、異常に巨大な天災地変に当たらないのか」という点は継続的に議論されてきました。
結局、東電が経営破綻し賠償できなくなる事態を避けるため、国は東電を実質国有化。さらに相当な責任があることを実質的に認め、原発周辺の除染などの費用負担を決めました。国策民営下での「東電延命」のスキームであり、責任の所在は曖昧です。
2018年に原賠法を改正する際にも「無限責任」の是非が論点のひとつに浮上し、米国などを参考に賠償額に上限を定めることも議論になりました。
原発の推進を掲げた経済産業省は見直しに積極的な立場を示しましたが、財務省は財政負担の膨張を警戒し、議論は停滞。
24年のエネルギー基本計画策定の過程でも、民間が賠償責任を集中して負う制度の見直しが俎上に上りましたが、事業者の免責を認めれば、どこまで責任を免除するかの判断に時間がかかり、被害者の損害が広がる懸念もあり、議論は進んでいません。
巨額の賠償責任を負っている東電の資金繰りは柏崎刈羽原発が再稼働しても苦しいでしょう。成長事業に投資する余裕はなく、外部からの出資受入れを検討と報道されています。
原発の安全性を高める投資は膨張しているほか、再生可能エネルギーの普及によって事業の選択肢も増えており、現状では電力会社があえて原発に取り組む動機は薄れます。
東日本大震災前から続く「核のゴミ」問題も停滞しています。使用済み核燃料を再利用に回す「核燃料サイクル」の中核となる日本原燃(青森県六ケ所村)の再処理工場は1993年に着工。97年に完成する予定でしたが、年中行事のように延期を繰り返してきました。
使用済み燃料の再処理時に出る廃液をガラスで固める技術等に関連してトラブルが相次ぎました。溶接や耐震設計のミスも表面化。今も設備破損で水があふれる「溢水(いっすい)」対策等を抱えています。
日本原燃は2026年度中に工場を完成する目標に「変わりはない」として、フランスの再処理工場で運転員を研修させて操業開始に備えますが、今回も予定通り完成する保証はなありません。
「核のごみ」の最終処分場も立地が決まらないままです。選定に先立つ調査には自治体が名乗りを上げるのが原則で、現在は北海道寿都町と神恵内村、佐賀県玄海町の3町村にとどまります。
調査が始まれば、国は文献調査に最大20億円、概要調査に最大70億円の交付金を自治体に支給します。しかし、金銭に頼って解決できるほどの簡単な問題ではないでしょう。自治体の発意を国が待つ「挙手方式」には限界があります。
本来は適地を国から示すべきです。スウェーデンは挙手方式をやめ、複数の候補を示してから国全体で議論が進みました。同国政府は22年1月に建設計画を承認しました。
最終処分の早期実現に向け、積年の課題に道筋を付けなければ、次世代に負担を先送りすることになる。
(了)

