自民党総裁選挙がまもなく終了し、新総裁が決まります。株価は今日のお昼時点では下がっていますが、夏以降総じて堅調。日銀によるETF売却方針の発表もありましたが、株価のトレンドには悪影響は与えませんでした。新政権の政策次第で今後の流れが決まってくるでしょう。企業や産業の再編・進化も加速し、M&A等の一層活発になると思います。既にその兆候は現れており、注目すべき事例も散見されます。

1.同意なき買収(TOB)

今年の産業界のビッグニュースのひとつは台湾の国巨(ヤゲオ)による日本の芝浦電子買収劇でしょう。ヤゲオに対抗するホワイトナイト(友好的買収者)としてはミネベアミツミが登場しました。

この買収劇は「同意なきTOB(公開買付け)」として注目され、日本のM&A(合併&買収)政策や経済安全保障に関して重い意味を持つものとなりました。

ヤゲオ、芝浦電子の両社はともにセンサー素子メーカーです。ヤゲオは台湾に本拠を置き、抵抗器、コンデンサ、インダクタ等々の半導体部品の分野で世界トップクラスのシェアを有しています。当然、世界シェア1位を誇る部品もあります。

最近ではセンサー事業への進出に注力しており、欧米のセンサーメーカー(テレメカニック等)の買収を重ねていました。

創業者、現会長(董事長、CEO)は陳泰銘氏。英語名Pierre Chen(ピエール・チェン)で1956年生まれです。国立成功大学を卒業(工学専攻)し、1985年に創業した企業を、実兄が先に立ち上げたヤゲオ(国巨)と合併させました。

創業以来、複数の電子部品を手がけています。ヤゲオは売上高5835億円、営業利益率19.2%(2024年12月期)、時価総額2272億台湾ドル(9851億円、4月時点)。

陳会長はヤゲオ株の6.98%を保有し、個人資産総額は57億ドルで世界600位(フォーブス調べ)。ワインや芸術品のコレクターとしても有名だそうです。

一方、芝浦電子は自動車(EVやHV等)のモーター類のセンサー素子を製造しています。温度センサー技術に強みを持ち、芝浦電子が製造する高精度サーミスタは電子機器の過熱防止に不可欠な部品だそうです。最近では、特に多数の高性能サーバーを稼働させるAI向けデータセンターで重要な役割を果たしています。

NTCサーミスタと呼ばれる温度センサーにおいて世界的なシェアを有し、自動車・産業機器・医療機器等の分野で高い信頼を得ています。NTCサーミスタは温度制御の要となるパーツであり、今後のEV、スマートファクトリー、AI制御機器等の不可欠の製品です。

芝浦電子の温度センサー技術は高精度・高耐久性・小型化において定評があり、技術的な独自性の高さはこの技術を要する各国企業からも注目されているそうです。

ヤゲオが芝浦電子をターゲットにしたのは、このセンサー技術を獲得し(傘下に収め)、世界規模で展開することを狙っているということでしょう。

芝浦電子のグローバルセンサー市場での競争力を強化し、欧米等の新たな顧客を取り込むことで、センサー部門で年間数10億ドル規模の売上を目指しているそうです。

ことの発端は2月5日、ヤゲオによる芝浦電子の「同意なきTOB」が明らかになりました。ヤゲオが2月当初に提案した買収価格は1株あたり4300円でしたが、この買収劇に割って入ったのが日本の大手電子部品メーカーであるミネベアミツミです。

同社は芝浦電子のホワイトナイト(友好的買収者)として登場し、対抗TOBを発表。ミネベアミツミが4500円でホワイトナイトに名乗りを上げると、価格競争が始まりました。

ヤゲオは徹底抗戦する姿勢を示し、価格引き上げ合戦に突入しました。ミネベアは6,200円まで追随しましたが、その後、ヤゲオは買付価格を6,635円、最終的には7,130円へと段階的に引き上げました。

この水準は市場価格に対して100%以上のプレミアムが付けられており、ヤゲオの本気度が伺えます。

結局、ミネベアミツミは6200円以上は価格を引き上げず、撤退に追い込まれました。ヤゲオに軍配が上がり、ヤゲオは市場関係者からも当局からも受け入れられました。

報道によれば、ヤゲオは芝浦電子の経営陣と対話を継続しつつ、日本国内での雇用維持、国外への技術移転の制限、設備投資の継続等を約束しました。

日本の製造・品質管理文化とヤゲオのスピード感ある世界規模での経営との融合が今後の成否の鍵となるでしょう。

2.モデルケース

TOB開始後、産業界や関係者の関心も高まり、様々な内容が報道されました。報道を注視していましたが、ヤゲオの陳会長は「なぜ芝浦電子を買収したいのか」という取材質問に対して、日本企業や日本経済の課題を突く回答をしていました。

重要なポイントは2点です。第1は世界展開に向けての対応についてです。

買収総額は当初提示価格でも約1000億円近くであり、芝浦電子の営業利益(2024年3月期)の16年分に相当します。マスコミからは、買収規模として大き過ぎないか、本当に投資回収できるのか、という趣旨の質問が投げかけられていました。

これに対して陳会長は「必ず投資回収できる自信がある。最初に提案した4300円も十分にプレミアムを乗せた額だ。その後さらに引き上げた価格でも、芝浦電子に対する投資を必ず資金回収できる自信がある」と述べています。

そのうえで「芝浦電子が未来にわたって何も変わらないのであればその通りだが、ヤゲオが買収することで、芝浦電子の収益を別の次元へ引き上げられると確信している」とも述べています。これは意味深です。

続いてその意味を解説するべく「芝浦電子の技術と製品を、ヤゲオのネットワーク、顧客網を活用してこれまでアクセスできなかった世界中の顧客に届けられる」としています。

ヤゲオ傘下には日本企業のトーキン(旧NECトーキン)があります。ヤゲオが2020年6月に米国の電子部品会社の老舗ケメットを買収(買収総額約2250億円)した際に、その子会社として傘下に入りました。

ヤゲオはトーキンに新規顧客を紹介し、AIや宇宙等の新しい分野に進出させ、設備投資を行い、生産量を拡大させ、トーキンの営業利益を2.8倍に伸ばしました。陳会長はこのトーキンの事例をもとに次のように発言しています。

「芝浦電子は優れた温度センサー技術を有しているが、売上高の4割は日本国内、海外もほとんどが中国、アジアの日系企業向け」と断じ、「優良顧客が数多くいる欧米向けビジネスはわずかしかない」点を課題として指摘しました。

芝浦電子は温度センサーで世界トップですが、シェアは約1割強です。取材に対する陳会長の発言からは、ヤゲオ傘下に入れば、ヤゲオのネットワークを活用して欧米等で新しい顧客を獲得し、市場シェアを高め、トーキンのように業績を拡大することができるということを確信していることが伺われます。

第2は経済安全保障に対するスタンスです。TOB最中の6月に、ヤゲオは芝浦電子買収に成功した場合でも、最先端技術は日本国内にとどめる方針を公表しました。

芝浦電子の扱う温度センサー技術は、防衛・航空・重要インフラ向けに応用可能な高度技術であるため、日本政府は外国為替及び外国貿易法(外為法)に基づき、国家安全保障上の観点から事前届出義務と審査対象に指定しました。

そこで、陳会長は取材に対して「日本の経済産業省と十分な意思疎通が取れている」として、国家安全保障、経済安全保障上の審査と政府承認を意識した発言をしていました。

ヤゲオは経済産業省と財務省の審査を受け、数度にわたって文書の提出・修正を求められましたが、最終的に、技術移転の制限、日本国内での研究開発体制の維持、サイバーセキュリティ体制の整備、政府による報告義務と監視体制、という条件を付けた上で買収を承認されました。

日本当局が、経済合理性に基づいた判断と経済安全保障、国家安全保障上の配慮とのバランスを模索する中で、こうした方針が示されたのでしょう。経済合理性とは、芝浦電子の成長極大化と芝浦電子の株主利益最大化等々です。

また、陳会長は「日本が非友好的と見なす国に芝浦電子の技術が移転するのは望ましくない」と述べ、技術流出を防ぐために一段と厳格な管理を導入する方針を明らかにしています。

こうしたことを受け、ヤゲオは芝浦電子の埼玉県深谷市を中心とする日本国内の製造・開発拠点、日本の人材と技術をそのまま活用することで、提示された条件を満たすとしています。

ヤゲオは国家安全保障上の審査を経て、政府承認の下で「同意なきTOB」によるM&Aが成立しました。これは、今後の外国企業による日本企業の買収における審査のモデルケースとなる可能性があります。

この承認は9月2日に正式発表され、日本における外国企業による「同意なきTOB」として、近年稀に見る成功事例となりました。

3.ポケットチャンピオン

2023年夏、経済産業省は「企業買収における行動指針」を公表しました。簡単に言うと「真摯な買収提案は真摯に検討しなければいけない」という当たり前のことを明記しました。

なぜそのような当たり前のことをわざわざ定めたかと言えば、日本企業を巡るM&Aの動きが国際標準と比較するとやや特殊であること、つまり後ろ向き、あるいは過度に防御的であることを言外に示していたと言えます。

この行動指針を契機に日本における「同意なき買収」のハードルが下がったという印象が強まり、有望な日本企業の買収への関心がさらに高まっている感じがします。

独自技術を有する有力な中堅企業を「ポケットチャンピオン」と称することがあります。今や世界トップ企業をなかなか輩出できない日本ですが、特定分野でのポケットチャンピオンはかなりあるのが実情です。

ヤゲオによる芝浦電子の買収は、日本のポケットチャンピオン企業に対する海外企業からの関心をさらに高めると思います。その一方、それが買収に発展する場合には済安全保障の観点から政府の関与も予想され、買収可否についてはケース・バイ・ケースでしょう。

ヤゲオによる芝浦電子の買収は、外国企業、外資による買収に慎重な意見を有する各界関係者からは警戒心をもって見られていると思います。

もともと最近の円安傾向によって日本企業に対する買収を仕掛けやすくなっていたうえ、今回の「同意なき買収」でホワイトナイトのミネベアミツミが撤退(敗退)したため、慎重派の各界関係者の警戒心が高まるのは当然です。

ホワイトナイト(ミネベアミツミ)側や慎重派の各界関係者が抑止力として期待した外為法は適用されませんでした。上述の行動指針によってM&Aを新たなステージに進めたのであれば、同時に経済安全保障の観点から適切に日本企業を守るための当局の対応も問われます。

日本企業のM&Aで「同意なき買収」に対抗したホワイトナイト側が負けた事例はあまり記憶がありません。日本のM&A市場は大きな転換点を迎えました。

ホワイトナイトの役割を果たせなかったミネベアミツミですが、撤退の決断はやむを得なかったと思います。

ミネベアミツミは当初から「高値つかみ」はしないという方針を明確にしていたことから、買収側(ヤゲオ)の本気度が高ければ対抗し切れないのは当然の結末です。

ミネベアミツミの株主は取材に対して「深追いしなくてよかった」とのコメントを述べているほか、同社株価は撤退宣言後に上昇しており、同社の株主や関係者も撤退を評価しています。

一方、買収側のヤゲオは当然ながら「高値つかみ」とは思っていないからこそ買収が成立しました。ヤゲオ株主の取材コメントとして「陳CEOの成長への意志は極めて強く、株主はそこに期待している」との内容が報道されているほか、ヤゲオ株価も上昇基調です。つまり、ヤゲオの株主も好感しているようです。

ホワイトナイト側も撤退を評価し、買収側も成立を喜ぶという、この不思議な展開に日本の経済や企業の実情、日本と台湾における経営者と株主の価値観の差が垣間見えます。

日本の経営者と株主はリスクを回避できたことを評価し、台湾の経営者と株主は成長のチャンスをつかめたことを評価しています。

このギャップが日本と台湾を含む外国の企業買収文化の違いのような気がします。言い換えれば「守る」か「攻める」かの違いです。

日本企業は自らM&Aを行う場合でもリスクを「取る」ことよりも「回避する」ことに重心がおかれがちであり、日本の企業社会の体質と言えそうです。

今後、ヤゲオのように強い成長思考の経営者が率いる資金力のある外国企業が「同意なきTOB」を仕掛けてきたら、日本企業はホワイトナイトを立てても防げない事例が続くかもしれません。

上述の経産省の指針で日本のM&A市場は転換点を迎え、外国企業と同じ土俵に乗ったと言えます。外為法で防衛したり、被買収会社の経営陣の好みといった不合理な要素で決まることなく、価格が高い方が最終的に勝つという経済合理性と国際標準のM&Aの常識で決着した今回の買収は意義深いと言えます。

経済合理性を追求するグローバルM&Aの常識が日本でも徐々に浸透します。芝浦電子買収はM&Aの一事例にとどまらず、日本の技術政策、産業競争力、M&Aの制度運用に一石を投じた事例です。日本のM&A政策や今後の経済安全保障や産業育成を考えるうえで、大きな意味を有すると思います。(了)