自民党総裁選挙が行われます。誰が選ばれるかはわかりませんが、その間も国際情勢の変化も科学技術の進歩も待ってはくれません。とくに一昨年、昨年あたりから変化や進化が加速しているように感じます。AIに関してはとくに加速感が強く、とりわけ中国での新興企業の勃興が著しい印象です。中国政府は米国の輸出規制に対抗してAI国産化政策を進めており、その追い風に乗っているという面が強いと思います。
1.カンブリコン
「寒武紀科技」という漢字を見て「カンブリコン」という企業名が出てくる人はまだ多くないと思います。中国の企業名は中国人以外が中国語で表現するのは難しいことから、別名や英語名がついているケースが大半です。
「カンブリコン(寒武紀科技、CambriconTechnologies)」は、AI半導体分野で急成長を遂げている企業で、「中国のNVIDIA」とも呼ばれています。NVIDIAは今や多くの人が知っている台湾の半導体企業です。
カンブリコンは2016年創業です。北京・中関村(別名「中国のシリコンバレー」)に本社があります。
その頃、筆者も中関村を訪問しました。カンブリコンに行ったわけではなく(当然、そのような企業があることは知りません)、中関村そのものの見学、視察に行きました。
その当時の中関村は徐々に街の整備が進み、周辺ビルのオフィスにIT系企業やスタートアップ企業が続々と入居している最中でした。
カンブリコンの共同創業者である陳天石氏は、幼少期から神童として知られ、16歳で安徽省合肥にあるハイテク分野のエリート校、中国科学技術大学に入学を認められたそうです。同大学でコンピュータサイエンスの博士号を取得し、2010年に政府直属の最高研究機関「中国科学院」の研究者となり、2016年にカンブリコンを設立しました。
カンブリコンはAI半導体を生産しています。主な製品は推論用チップであり、ファーウェイ、バイトダンス、テンセントなど中国のビッグテック企業を顧客にしています。
急成長している背景にはいろいろ要因があると思いますが、 国産化政策の影響は非常に大きいでしょう。中国政府は米国の輸出規制に対抗し、AI半導体の国産化を強力に推進。カンブリコンはその中心的存在です。
中国のAI及び半導体政策は、国家戦略の中核であり、政策の柱は以下の3つの計画によって構成されています。
第1に2015年に策定された「中国製造2025」は半導体を戦略産業に指定し、2030年までに国産化率75%を目標にしています。第2に2021年から25年までが対象期間の「第14次5ヶ年計画」はAI及びAI半導体を先端技術の重点分野に位置づけています。第3に「新世代AI発展計画」は2030年までにAI世界首位を目指すこと掲げています。
これらによって、当然大規模な支援予算が投入されています。「国家大基金」第3期(2023年設立)では、約3000億元規模で半導体企業を支援しています。法人税免除・設備投資補助・EDAツール開発支援など、広範な優遇策を講じています。
また「AI国家チーム」制度は百度・アリババ・テンセント等の先行企業、大企業等が重点支援の中心ですが、カンブリコンのような新興企業も対象になっています。
AIや半導体に関する中国の国際競争力は急激に高まっており、2030年には米国を凌駕すると予想されています。
現時点でも既に特許出願数は世界最多です。
先端ロジックやEUV(極端紫外線露光装置)等の半導体製造技術では依然として米欧に依存しているとも言われていますが、実態はかなりキャッチアップしていると思います。10nm以上の成熟分野では既に優位に立っており、一桁nmの分野でのキャッチアップが続いています。
AI標準化(ISO/ITU)への積極提案・関与によって、国際ルール形成を主導することを狙っており、少なくとも米国と標準化技術を二分するような状況になると思います。
AI半導体の機能の中でも、中国は推論分野(推論用チップ)での優位性を維持しています。学習分野(学習用チップ)では依然としてNVIDIAに依存しているものの、推論処理ではカンブリコン製チップが広く採用され始めているそうです。
OpenAI CEOのサム・アルトマンは「推論能力の側面では中国が米国を上回るだろう」と述べています。筆者の立場では根拠はわかりませんが、アルトマンが言うのですから、そういうことでしょう。
2.中国のNVIDIA
カンブリコンは中国では数少ないAI半導体分野の上場企業です。ファーウェイもAI半導体を製造していますが、同社は非上場企業です。米国政府は安全保障上の観点からこの2社を禁輸リストに掲載し、米国の技術にアクセスできないようにしています。
上述のとおりカンブリコンは「中国のNVIDIA」とも呼ばれ、米中間の対立の中で中国国内における存在感を高めています。
今年NVIDIAのジェンスン・ファンCEOが中国深?を訪問した際、証券市場では「NVIDIAが中国事業強化を狙う動き」との憶測が広がり、カンブリコンの株価が急落しました。それだけ、NVIDIAとの競合関係が注目されています。
NVIDIAとカンブリコンの製品を比較してみると、NVIDIAは学習用・推論用GPU(H100 、A100)等が主力製品の一方、カンブリコンは推論用NPUが主力です。
それぞれの強みは、NVIDIAは世界市場で高性能・高価格半導体のエコシステムを構築しているのに対し、カンブリコンは中国市場に特化することで政府支援を受け、低価格を実現しています。
逆に弱みは、NVIDIAは中国市場で販売規制を受けているのに対し、カンブリコンは学習用GPUが性能不足ということもあって、国際展開が限定的です。NVIDIAの販売規制は、米国の輸出規制と同時に、最近では中国自身がNVIDIA製品への依存回避に動き、カンブリコンのプレゼンスを高めています。
NVIDIAの巨額の好業績はよく知られている一方、カンブリコンの2024年売上高は前年比69.2%増の12億元(約256億円)と、規模はNVIDIAに到底及ばないものの、急成長の入口にあります。
カンブリコンの株価は2024年に約500%急騰。これを受け、同社の共同創業者でCEOの陳天石氏の保有資産は100億ドル(約1兆5600億円)を超えたと報道されています。
今年に入ってカンブリコンは売上げ4000%増、株価も上昇しており、時価総額は約6000億元(約13兆5000億円)超え。もうこの情報も古いと思いますが、とにかく成長と変化は加速しています。ハイテク新興企業向け市場の創業板(チャイナネクスト)における成長トップの勢いです。
今年夏には株価が1ヶ月で2倍になりましたが、乱高下傾向もあり、警戒感も聞かれます。「ファンダメンタルズから乖離している」「カンブリコン株価は巨大なバブル」「同社のAIビジネスを楽観的に捉え過ぎている」「投機的がリスクが高い」等々の指摘も聞きました。
とは言え、カンブリコン株のPSR(株価売上高倍率)は340倍を超えている一方、引続き株価が高騰しているNVIDIA株のPSRは30倍。凄いことには変わりありません。
上述のとおり、中国はNVIDIA製品の販売規制や米国技術へのアクセス制限を逆手に取って、自ら半導体の標準化技術確立とエコシステム構築に動いています。
結果的に米国の輸出規制が中国の技術自立を加速させており、NVIDIAの空白をカンブリコンが埋める構図が強まっています。
現状、カンブリコンの技術は全体的にはNVIDIAに遅れを取っているとの評価ですが、中国国内では利用が利用が広がっているようです。中国のAIスタートアップ企業の百川智能(Baichuan AI)や智象未来(Hi Dream AI)等のAI開発に使用されていると報道されています。
カンブリコンはAI技術の進化と米中対立を背景とした地政学的な半導体戦略の要所に位置する企業です。
なお、AIの専門家からは「NVIDIAに追いつく可能性があるのはカンブリコンではなく、ファーウェイである」「ファーウェイのGPU Ascend 910シリーズは性能が向上しており、間もなくNVIDIAのA100に匹敵する可能性がある」とも聞きました。
カンブリコンをはじめ、中国の主要なAI半導体、GPU設計企業は、今後ファーウェイと提携したり、吸収されたりする可能性もあるでしょう。
3.マヌス
今年3月に製品がリリースされたマヌス(Manus)というAIも要注目です。マヌスを作ったのはButterfly Effectという北京拠点の2022年創業のスタートアップ企業で、創業者は肖弘(シャオ・ホン)というエンジニアです。
マヌスは自律型AIエージェントであり、「思考を行動に変えるAIアシスタント」を謳い文句にしたAGI(汎用AI)志向の製品です。「マヌス」という名前はラテン語の「手」に由来し、タスクを実行する能力を象徴しています。
報道等の情報に基づけば、マヌスはユーザーが指示する多様で複雑な作業を効率的、自律的に実行できるように設計されており、単に会話を行うだけではなく、「目標達成型AI」とも呼ばれています。欧米の技術やモデルに依存せず、中国の独自技術を駆使していると聞きます。
ユーザーがひとつの指示を出すだけで、情報収集、分析、コンテンツ作成、結果出力までを自律的に完了できるエージェントです。ブラウザ操作、検索、スクロール、プログラム作成(Pythonコード実行)、ファイル作成など、人間のようにPCを操作することも可能です。
マヌスはマルチエージェントシステムを採用しており、技術的な革新ポイントは、計画・実行・検証それぞれを担うAIが連携してタスクを処理することだそうです。ユーザーの指示を受け取ると、それを小さなタスクに分解し、それぞれを専門のAIエージェントに割り振ります。
各エージェントは自律的にタスクを処理し、最終的な結果を統合して提供します。マヌスは、ユーザーの「やりたいこと」を自律的に進めていきます。
さらにマヌスは、画面でAIの思考プロセスを確認できるそうです。もちろん実際に見たことはありませんが、ブラックボックス化を防ぐことを想定し、ユーザーが途中介入できるようにしているそうです。
Excel操作、Python実行、Webスクレイピングなど約30種類のツールを統合して作業します。スクレイピングとはWebサイトから必要な情報を自動的に抽出する技術のことです。人間が手作業でコピー、ペーストする代わりに、プログラムが裏側のHTML構造を読み取り、指定したデータを効率よく集めます。
マヌスはAIの性能を評価する「GAIA(General AIAssistants)ベンチマーク」で86.5%を達成し、OpenAIの自律型AI「Deep Research」の74.3%を上回ります。
「GAIAベンチマーク」は2023年11月にメタ(Meta)等の研究者によってAIエージェントやAIアシスタントの能力を評価するために開発、設計された新しい基準だそうです。実際の問題解決能力に焦点を当てており、AIが日常生活で遭遇する可能性のある質問やタスクに対する能力を評価することを目的としています。
AIが単なる情報検索ツールではなく、ユーザーの真のパートナーとなり得るかを評価します。より実用的なAI開発を促進するための評価基準であり、GAIAベンチマークはAI研究や開発において徐々に普及しているそうです。
専門的な知識を問うだけでなく、日常的なタスクにおけるAIの汎用性と柔軟性を評価します。450以上の設問で構成されており、AIモデルの多様な能力を総合的に評価します。
設問は3つのレベルに分かれており、レベル1は基本的な知識や常識を問う設問、レベル2はツールの使用やウェブ検索を必要とする設問、レベル3は複雑な推論やマルチステップの処理が求められる設問です。
さて、カンブリコン、マヌスなど、中国勢のAIの伸長が目立ちます。それ以外にも、中国では有望なAI企業が増えています。
DeepSeek(ディープシーク)は2025年初頭にリリースされ、世界的に注目されました。本社は浙江省杭州市にあり、ChatGPTに匹敵する性能を持つとされる一方、大規模言語モデル開発、モデル学習に用いたコストは10分の1程度に抑制され、業界全体に大きな影響を与えました。「AIのスプートニク的瞬間」とも評されました。
アリババもAIモデル「QwQ-32B」を発表し、DeepSeekを上回る効率性を実現したと喧伝しています。DeepSeekの5分の1の大規模言語モデルのパラメータ数で同等の高性能を実現したとして注目されています。アリババは今や中国国内外でのAI競争の主要プレーヤーです。
テンセントも中国最大のSNS「WeChat」にAIチャットボット「元宝(Yuanbao)」を導入しました。WeChatユーザー約14億人への展開が強みです。速度が速い「HunyuanTurb」等、複数のAIモデルを発表し、AI戦略を強化しています。
「六小虎」と呼ばれるスタートアップ企業群もあります。「ステップファン(Stepfun)」「ジプー(Zhipu)」「ミニマックス(Minimax)」「ムーンショット(Moonshot)」「01.AI(零一万物)」「バイシュアン(Baichuan)」の6社です。このうちステップファンはAGI(汎用人工知能)志向であり、1兆パラメーター超の大規模言語モデルを使用しているとされています。
その他の有力企業として、画像認識の商湯科技(センスタイム)、音声認識の科大訊飛(アイフライテック)、研究に強みを持つモデルベスト(ModelBest)、AI搭載コンパニオンロボット開発の人工生産力(ArtificialProductivity)等が注目されています。
中国政府は国産AI技術の強化を国策として掲げ、半導体からAIモデルまで一気通貫での自給自足体制構築を推進中です。そのため、NVIDIAへの依存低減を図り、国産半導体メーカーへの需要が急増しています。
米中対立に伴う輸出規制や技術障壁は、結果的に中国の技術や新興企業の伸長を促している面が強いと思います。
(了)