前号では、トランプ大統領の関税政策の経緯を整理しましたが、その後も動きは止まりません。8月27日にはインドに関税率50%を課すことが発表されました。7日に発動された25%の相互関税に、ロシア産原油を輸入していることに対する制裁措置としての追加関税25%を加算したものです。50%はブラジルと並ぶ最高水準です。今さらですが、トランプ政権の誕生、関税政策の発動に至る歴史的経緯等について考えてみます。
1.ブレトンウッズ体制
世界の経済貿易体制は時代とともに変遷してきました。古くは重農主義に始まり、その後は「レッセフェール」と呼ばれる言わば自由貿易の萌芽のような時代を経て、やがて植民地時代となりました。
そして第1次世界大戦、1929年の大恐慌を経て、主要国が自国産業を保護し、旧植民地や友好国を囲い込むブロック経済化が進展。そのことも遠因となって、第2次世界大戦が勃発しました。
戦後は、戦前の保護主義やブロック経済化が不況の深刻化や戦禍を招いたとの反省から、戦勝国を中心に自由貿易体制が構築されました。当然、その旗振り役は米国でした。
大戦中の1944年7月に米国ニューハンプシャー州ブレトンウッズで連合国通貨金融会議(45ヶ国参加)が開催され、戦後復興や自由貿易を支える国際通貨基金(IMF)や国際復興開発銀行(IBRD)を創設することが決定。そのため、第2次大戦後の連合国側の経済体制は「ブレトンウッズ体制」と呼ばれるようになりました。
ブレトンウッズ体制の柱として世界貿易機関WTOの前身である関税貿易一般協定GATTが1947年に創設されました。GATTの下で、米国を筆頭に各国は関税率引下げへの取り組みを開始。
先導役である米国は、平均関税率を当初の約8%から1%台まで低下させました。
米国の自由貿易推進に対する取組みは、軍事力と並んで米国主導の国際秩序を創り上げるうえでの二本柱。米国が巨大な国内市場を開放したことで、敗戦国の日本やドイツのみならず、大戦で経済が疲弊した西側諸国の復興を後押しし、その後の民主主義陣営の拡大と繁栄に繋がりました。
それから約40年、米国と対抗するソ連の経済力と国内体制は瓦解し、「ソ連崩壊」「ベルリンの壁崩壊」に至ったほか、中国でも民主主義化を求める「天安門事件」が勃発。1990年代は米国一強の様相となりました。
油断したわけではないと思いますが、米国は2001年に中国のWTO加盟を後押しし、自由貿易体制のさらなる発展を企図しました。
しかし、それから四半世紀が経ち、中国の経済規模は15倍に拡大。技術力も産業力も高まった中国は、今や米国にとって軍事的脅威。米国が中国のWTO加盟を後押ししたことは、米国にとっては「結果的に失敗」とも言えます。
とりわけ21世紀入り後の世界では経済の知的産業化が進展。IT化の加速やインターネットビジネスの拡大が顕著ですが、WTOルールはモノの取引が中心であり、知的財産の侵害に対処できませんでした。
米国シンクタンクの試算によると、知財侵害による米国経済の被害額は年間最小で2250億(33兆円強)、最大で6000億ドル(89兆円弱)と見積もられています。
また、WTOは中国の補助金政策にも対処できませんでした。中国は、当初は安価な労働力を提供する生産拠点として西側経済と結びつきましたが、強固な補助金政策によって中国企業が急速に成長。2010年代に入ると、米国を筆頭にした西側諸国市場でのプレゼンスを高めていきます。
やがて中国は製造業で米国に追い付き、分野によっては引き離す勢いとなり、2015年には習近平主席が「中国製造2025(中国は2025年頃には世界の製造業強国となる)」という国家目標を掲げ、それから10年、中国はその目標を実現したと言えます。
人口の1割(つまり日本の人口とほぼ同じ1億3千万人)以上の超富裕層及び富裕層が誕生した一方で、引き続き貧富の差が大きく、消費総額は米国の半分程度。相変わらず米国を最終消費地とする極端な輸出型経済構造であり、そのことが米中間の経常収支の不均衡をもたらしています。
その間、GATTの交渉においては、ケネディ・ラウンド(1964年から67年)には約60ヶ国が参加。工業製品の関税率を4割近く圧縮。約120ヶ国によるウルグアイ・ラウンド(1986年から94年)でも先進国の工業製品の関税率が大幅に引き下げられました。
ところがその後、世界の貿易自由化は停滞。中国が加盟した2001年に始まったドーハ・ラウンドでは農畜産品を対象にし始めましたが、日欧とも国内農家は政治に直結し、市場開放に後ろ向きでした。新興国も反発して自国の関税削減を忌避。
一方で、上述のように中国の製造業が成長。米国の経常赤字は9000億ドルと突出するようになる一方、中国やドイツ、日本は恒常的な黒字が続き、米国を最終消費地とする自由貿易体制の恩恵を受けてきたと言えます。
2.自由貿易の崩壊
以上の経過の中で米国のストレスは徐々に高まり、2017年の第1次トランプ政権、2025年の第2次トランプ政権誕生につながったと言えます。しかし、トランプ政権に至る前にも予兆はありました。
上述のとおり、GATTが発足した1948年、米国は関税率を5%台に引き下げました。自国市場の開放で西側諸国を中心とした同盟国・友好国の輸出を促す狙いであり、1950年代、60年代にかけてその目的は達成されたと言えます。
しかし、消費拡大と予算拡大の結果、やがて貿易赤字と財政赤字の「双子の赤字」に陥った米国は、1970年代以降、日欧諸国に内需主導型経済への転換を求めました。
それでも貿易赤字は拡大を続け、1985年、とうとう最大の貿易黒字国である日本に円相場の大幅切上げを求める「プラザ合意」に至ります。
その後も米国の経常赤字は続き、対外債務も拡大。2008年に勃発したリーマン・ショックの遠因は、対外債務拡大を背景とする国際信用不安でした。
21世紀に入り、巨大な米国市場に対する各国の依存度はさらに高まりました。世界経済の規模が2000年からの四半世紀で3倍に拡大する中、米国のモノの輸入は膨らみ、米国の経常赤字も3倍の1兆1000億ドルに達しました。
その間、2010年代半ば以降、米国とその他諸国との巨大な不均衡は、米国にとって持続可能ではなく、不公正であるとの認識が米国内で徐々に広がりました。
米国の政府債務は拡大し、度々予算執行停止という財政危機に見舞われるようになりました。米議会予算局は政府債務があと5年で第2次大戦直後の1946年の水準を突破すると予測しています。トランプ大統領のような主張の台頭は必然的であったと言えます。
トランプ大統領が強引に進める関税政策の動向は前号でお伝えしたとおりです。重商主義に転じたとの言える米国は経済ルールを一方的に書き換え、戦後80年でブレトンウッズで始まった自由貿易体制は崩壊したと言えます。
米国が主導してきた世界秩序は転機を迎えました。トランプ大統領個人の暴走ではなく、かなりの割合の米国民は関税引上げに賛成しているようです。
米国のこうした変化には、国際収支の不均衡に始まり、国家資本主義による中国の台頭、米国内の製造業空洞化に端を発するポピュリズム的批判、世界全体の経済自由化の停滞、等々の要因が影響しています。
4月の相互関税発表以来、各国との交渉、調整は続いています。少し落ちついてきた感はありますが、今後も各国との報復の応酬や駆け引きは続くでしょう。
相互関税は自由貿易の概念に反します。自由貿易は関税を下げて貿易を促す「低関税」に加え、すべての国を同様に扱う「無差別」が原則ですが、相互関税は「高関税」を国ごとに「区別」してかけるので、正反対です。
トランプ大統領はこれまで「互恵主義の原則を掲げながらも、米国と相手国の貿易関係は特に近年、著しく不均衡なものだった」「米国が関税を下げれば貿易相手国も下げる、豊かになった国は米国経済にも利益をもたらす、米国に貿易赤字は生じない、という前提がすべて誤りだった」等々の発言を繰り返しています。
また「自由貿易が米国経済を繁栄させるどころか悪影響を及ぼした」「北米自由貿易協定(NAFTA)によって500万人以上の雇用が失われた」とも発言しています。
こうした米国の産業空洞化がトランプ現象に繋がりました。経済格差が発生し、低所得層(下位20%)の収入はリーマン危機前の2007年から変わりませんが、上位20%の層は1.6倍。この傾向も、ポピュリズム的批判を増幅しています。製造業の雇用は金融・ハイテクなど高所得産業に移りませんでした。
トランプ大統領は8月1日、輸入品に課す相互関税を引き上げました。米国の平均関税率はトランプ政権発足前は2%台でしたが、8月には20.2%に上昇。世界銀行がデータを持つ144ヶ国の中で、20%超は英領バミューダ諸島とソロモン諸島のみです。
3.CPTPP
自由貿易と自由経済の盟主であった米国は、今や高関税政策を掲げて各国を威圧。一方、米国と覇権を争う中国は新興国・発展途上国を借金漬けにして従属させる「債務の罠」戦略を梃子に貿易と経済を歪めています。
米国と中国、「力による支配」を標榜する二大大国に今後の貿易と経済の下支えを期待することはできず、世界秩序は転機を迎えています。
カナダのカーニー首相は「経済と安全保障面で緊密に協力するという米国との関係は終わった」と明言。フランスのマクロン大統領も「独立した欧州」を掲げ、核の傘を広げ、米国に依存しない安全保障体制を追求し始めました。
経済と安保で米国主導の秩序が変わりつつあることから、米国とどう向き合い、どのような新たな秩序を見い出すのか。日本を含む各国は重い課題と直面しています。
日本やEUは米国のストレス解消に応じるために、米中両国を中心とする外需依存度の大きい経済構造を改革し、内需を拡大しなければならないでしょう。また、米中に依存しない新たな経済圏を模索する必要もあります。
解決策の糸口のひとつは日本を含むアジア・オセアニアや南米11ヶ国で構成する包括的・先進的環太平洋経済連携協定(CPTPP)でしょう。CPTPPとEUを合算した国内総生産(GDP)は米国を上回ります。CPTPPは米国が協議から離脱しても瓦解せず、英国が後から加わりました。CPTPPとEUの連携を模索すべきです。
解決策のもうひとつの糸口は、人民元相場など国際通貨体制の自由化です。かつての円に対する対ドルのプラザ合意のような改革を、人民元やその他通貨に対しても行うことです。
さらに、グローバルサウスの国々、新興国・発展途上国の成長モデルの変革の変革です。
ベトナムは2030年までにグローバル企業を20社育成する目標を掲げています。ベトナムは中国に代わる「チャイナ・プラスワン」の受け皿として2024年も7%成長を実現。年1000億ドル(約15兆円)超の対米貿易黒字がトランプ関税政策の網にかかり、20%関税を課されました。輸出の7割は韓国サムスン電子等の外国企業が担っていることから、ベトナムは外資の対米輸出で稼ぐ経済構造の改革を目指しています。
インドネシアは米国からの輸入品99%の関税を撤廃することで、米国への輸出関税率を32%から19%に引下げることに成功。輸入品流入拡大を受け入れてでも、輸出拡大のための関税率引下げを選択しました。また、CPTPPへの加盟作業も進めており、米国以外にも同様の方針で臨むようです。
輸入に依存し、貿易赤字が膨らむインドは製造業振興に注力。モディ政権が2014年から「メーク・イン・インディア」政策に取り組み、外資導入に腐心。今年稼働予定の米マイクロン・テクノロジーの半導体メモリー工場等がその象徴です。ロシア原油輸入の制裁として、米国から50%関税を課されましたが、製造業振興の方向に変わりはありません。
さて、日本。現在と同じように経常収支不均衡から米国の保護主義が広がった1980年代、中曽根首相の諮問機関がまとめた報告書(通称「前川リポート」)は産業構造の転換や市場開放の改革を提言しましたが、約半世紀経っても実現したとは言い難いのが現実です。
バブル崩壊以降は物価も賃金も上がらない状態が続いてきました。その間、政府が景気対策を重ねてきましたが、成長力は漸減し、潜在成長率は0%台で低迷しています。
日本企業は伸びない国内市場に背を向けて、米中等の海外市場でのビジネスに腐心。昨年30兆円を超えた日本の経常黒字の主因は、米中等の海外で稼いだ国際収支勘定上の第1次所得収支です。今や赤字の貿易収支も、対米国では自動車輸出等で黒字を保ちます。
国際競争力の乏しい国内産業・企業の過剰な保護が続けば、成長力底上げは実現しません。現状を続ければ、「失われた30年」が「40年」「50年」となりかねません。
トランプ大統領の任期が終われば状況が変わる保証はありません。減税による歳入欠陥を関税収入で埋める構図が定着すると、誰が次の大統領になっても状況は変わりません。
資源を海外に依存する日本にとって自由貿易は不可欠。EU等と連携して米国に対処し、自由貿易を維持できるかが問われています。
もうひとつの課題もあります。相互関税、貿易戦争に起因して、今後数年、予想を上回る物価上昇が続くことです。
新型コロナ禍前まで、先進国は「ディスインフレ」が続いていました。グローバル化の進展で新興国の安価な労働力を活用したサプライチェーンの影響から、生産コストも抑制されていました。
しかし、コロナ禍に伴うサプライチェーンの機能不全、ロシアのウクライナ侵略等の国際情勢の影響で低インフレ時代は終焉。そこにトランプ関税が重なり、世界の物価上昇圧力が高まりました。今後は「高コスト体質」の世界が続きます。
物価高は金利上昇にも繋がります。関税に伴う物価高を警戒する米国FRBは利下げを5会合連続で停止。政策金利は4.25%から4.5%と2007年以来の高水準です。
米国の金利高はドル高円安、輸入インフレを介して日本の物価上昇圧力にもなります。日銀も0.5%から追加利上げをした場合、0.75%になれば30年ぶりの高さです。
金利上昇は別の問題も惹起します。低金利下で積み上がった過剰な政府債務の金利負担です。国際金融協会IIFによると今年3月末時点の先進国の政府債務残高は65兆ドル(約9620兆円)に達しています。
2011年まで国内総生産GDPを下回っていた債務残高は、コロナ禍などに対応する財政出動で急速に膨張。いまやGDPを13%上回ります。
日本でも、政府の利払いコスト増加の連想から30年国債の利回りは過去最高となる3.2%以上となっており、3ヶ月あまりで1%以上上昇しています。
期間の長い国債の利回りは既に先進各国で上昇しています。債券市場関係者の脳裏を過るのは2022年、英国の長期金利が急騰し発足直後のトラス政権が退陣に追い込まれた「トラス・ショック」。財源が明確でない大規模な減税計画の公表が契機でした。
投資ファンド等の民間資金も金融緩和下で拡大。投資家が拠出を確約した資金を含む資産規模は世界で2兆ドル(約290兆円)超。2010年の6倍近くに膨張しています。
トランプ関税は政府関係者も市場関係者も信用リスクを意識せざるを得ない状況を招いています。
(了)