第2次トランプ政権が本格始動しました。日米首脳会談は無事に終わりましたが、「無事に終わった」ということは、日本としては、トランプ大統領の意に沿わないこと、米国側と対立するような主張はしなかったということかもしれません。日鉄問題も含め、今後の動向に要注目です。
1.17年ぶりの水準
1月24日の金融政策決定会合で日本銀行が政策金利とする短期金利(無担保コール翌日物レート)を0.5%に利上げし、17年ぶりの水準になりました。長期間にわたる超低金利政策からの転換を示すものだと思います。
利上げに至った基本的理由として、植田総裁は「昨年に続き、しっかりとした賃上げが見込まれると判断した」と説明。
賃上げの一方で、インフレが進めば、実質賃金が下がります。植田総裁の発言から、金利引上げの一因として、インフレ圧力の高まりを抑制し、実質賃金の上昇を支える意図が推測できます。
世界的な物価上昇や、円安による輸入物価上昇により、日本ではエネルギーや食料品等の価格上昇が顕著。こうした事情が、上記の判断の背景にあるものと思います。
インフレは世界的傾向であり、利上げしないとさらに円安になって輸入インフレも進み、日本(及び日本国民)の購買力が低下します。円安による輸入品価格上昇は、消費者や企業にとって負担増です。
つまり、金利引上げは間接的に円安進行を抑制することも目的としていると考えるのが妥当でしょう。
他国からの圧力や他国への配慮も影響していると考えます。通貨安は基本的にその国の輸出の価格競争力を増します。つまり、円安が進行しすぎると、貿易相手国との摩擦を引き起こすことになります。
米国でトランプ政権が誕生したため、対米ドルでは今まで以上の配慮が必要になります。金利引上げは、こうした貿易上、国際関係上の問題に対処する一手段としても意識された可能性があります。つまり、これ以上の円安は、日本にとっても貿易相手国にとってもよくない状況です。
日銀がこれまで行ってきた超低金利政策や超量的緩和政策には、メリットもあれば、デメリットもあります。
メリットとしては、事実上の財政ファイナンス(政府にとってはメリット)、株価上昇、極めて低い借入金利等々がありますが、裏腹に、財政の放漫化、過度の円安、国家及び国民の購買力低下、極めて低い預金金利等々はデメリットです。
メリットとデメリットは表裏一体。国会在職中からその点は委員会等で発言してきましたが、植田総裁としてはメリットよりもデメリットの方が相対的に大きいと判断していることと思います。
超低金利、異常な金融緩和の段階的修正の時期に来ているという判断でしょう。今後、どのようなペース(スピード感)でどのように修正していくかは、米国トランプ政権の影響を受ける米連邦制度準備理事会(FRB)の動き等にも左右されます。
日本の利上げから2週間後の2月7日、IMFの対日報告レポートが発表されました。IMF協定第4条の規定に基づき、IMFは加盟国と毎年協議を行い、IMF代表団が協議相手国を訪問し、その国の経済状況や経済政策について政府当局と協議し、レポートを作成、公表します。
長年読んでいますが、今回の報告書は現状分析が的確で、よくできていると思います。概要は以下のとおりです。
日本のインフレ率は、ほぼゼロだった期間が30年間続いた後、新たな均衡に向けて持続的に収斂する兆しがある。インフレ率は2年以上にわたって日銀の目標である2%を上回り、労働市場逼迫により1990年代以来最も力強い賃金の伸びが見られる。
内需は個人消費を中心に強まっており、総合インフレ率とコアインフレ率(生鮮食品とエネルギーを除く)は、いずれも日銀の総合インフレ率目標である2%を上回った状態が続いている。
財のインフレがエネルギーと食料の価格によって押し上げられている一方、サービス価格の伸びは比較的弱く、2%を下回っている。
インフレ期待は、一部の指標が依然として物価目標を下回るものの、以前よりも目標と平仄の取れた状態になってきている。
賃金は、人手不足とインフレの中、1990年代以降最高のアップ率ですが、実質ベースでは力強さを欠いている。
2025年にはインフレ率を上回る賃金の伸びが家計の可処分所得を押し上げれば、個人消費がさらに増え、成長が加速すると見込む。民間投資も高水準の企業利益と緩和的な金融環境に支えられ、力強さを維持する。
需給ギャップは解消されたと推計され、成長率も中期的には0.5%の潜在成長率に収斂すると予想。
総合インフレ率とコアインフレ率は、石油と食料の一次産品価格が落ち着けば、2025年終盤に日銀の総合インフレ率目標である2%に収斂すると予想。
インフレに対するリスクは概ね均衡している。下振れリスクは、日本が長期にわたり低インフレを経験したことを受けて、なかなかインフレ期待が上昇せず、総合インフレ率目標を下回り停滞することもあり得る。
上振れリスクは、食料とエネルギー価格の上昇、及び春の賃金交渉における予想を上回る賃上げによって起こり得る。トランプ政権(文章上は「主要な貿易相手国」)による貿易障壁とコスト圧力の高まりが国内物価に与える影響は定かでない。
金融政策に直接関わる部分の概要は以上のとおりですが、つまり、今回の利上げは実質賃金下支えと、インフレの上振れリスクに備えた対応と整理できます。
2.IMF対日報告レポート
以上の分析を踏まえたうえで、日本は引き続き高齢化と多額の公的債務という課題に直面していることにも言及し、財政余力を再構築し、潜在成長力を支えるための労働市場改革を進めることを推奨しています。
以下、引き続きIMFの対日報告レポートの概要のポイントを整理します。
経済成長のリスクは下方に傾いている。国外要因としては、世界経済の減速、地経学的分断の悪化と貿易障壁の増加、より不安定な食料・エネルギー価格が含まれる。国内要因としては、実質賃金が持ち直さない場合、消費が弱くなることが主な下振れリスクである。
もうひとつの国内リスクは、公的債務と総資金調達ニーズが高い中、財政の持続可能性への信認が低下し、それによって金融環境がタイト化することである。
下振れリスクが顕在化すれば、政策金利が依然として低い水準にある中、日本は実効下限制約のある環境に戻ってしまう可能性がある(つまり、また利下げが必要になり、ゼロ金利に向かう可能性があることを示唆しています)。
2024年の財政赤字の推計値は、税収増等によってやや改善しているものの、2025年は、防衛、子ども関連施策、産業政策への追加支出が計画される中、財政赤字が増加する見込みである。
公共支出は、よく的が絞られていない補助金(とりわけエネルギー補助金)を廃止し、質の高い公共投資の歳出を維持すること等により、より成長に配慮した内容で構成されるべきである(日本の歳出に関しては手厳しい指摘です)。
社会保障支出の的をより良く絞り、その効率を高めることは、社会保障の質を維持しながらコストの増加を抑制する上で極めて重要である(医療・介護等の社会保障支出の実情についても厳しい見方です)。
歳入面では、高所得者に対する金融所得課税の強化や、資産課税における減免措置の縮小及び課税評価標準の拡大、所得税控除の合理化、消費税率の単一税率化及び最終的引上げ等の選択肢がある。
繰り返し編成され、また、執行が不十分となっている補正予算は、効率的な資源配分、予算の透明性、財政規律を損なっている。補正予算の編成は、自動安定化装置を超えるような予期せぬ大きなショックへの対応に限定すべきである(コロナ禍以降頻発する補正予算編成には批判的です)。
金利が上昇するにつれて、巨額の公的債務の返済コストが2030年までに倍増すると予想されており、強固な債務管理戦略が重要になる。
総資金調達ニーズの増加と日銀のバランスシートの縮小に直面する中、国債発行は、外国投資家や国内機関による追加的な需要に頼る必要がある(今後の国債消化に懸念を示しています)。
現在の緩和的金融政策スタンスは適切であり、インフレ期待が持続的にインフレ目標の2%に上昇することを確保するだろう。
日銀が現在進めているバランスシートの縮小は、明確にコミュニケーションが取られており、ペースは適切に緩やかであり、円滑に進んでいる。日銀は、無秩序な債券市場の状況が生じたり、金融環境が望ましい金融政策スタンスと整合的でなくなったりした場合に、購入のペースを変更できるように備えておくべきである(日銀の金融政策に対しては好意的な見方です)。
日本の政府債務残高が大きく、対外純資産が大きいことで、金融政策は国外の資産価格に波及する重要な伝播経路となっている。明確なコミュニケーションと漸進主義により、資産価格への悪影響や国外への波及効果を抑えることができる。
柔軟な為替相場制度に当局が引き続きコミットしていることを歓迎する。為替レートの柔軟性は引き続き、外的ショックを吸収することを助け、金融政策が物価安定に焦点を当てることを支えるべきである(為替介入等による円安対策を牽制しているように読めます)。
金融システムは引き続き概して強靭だが、マクロ経済の不確実性の高まりや予想を超える速さでの金利上昇や未実現の損失が発生するリスク、及び中小企業の倒産件数の増加を複合的に反映して、システミックリスクがわずかに高まっている。
金利が徐々に上昇していることは銀行の収益性の向上を促したが、予想よりも速く金利が上昇し、金融環境が引き締まれば、国債市場が混乱し、エクスポージャーがより大きい銀行の金利リスクが増幅する恐れがある。
地方銀行を中心に資本が乏しい国内銀行は、含み損や資金コスト増大によるリスクの高まりに直面しており、金利上昇に対してより脆弱である。
3.脆弱な円安
IMFの対日報告レポートは、さらに日本経済の構造的問題点も指摘しています。以下、引き続きポイントを整理します。
全要素生産性は10年間鈍化が続き、2000年代初頭以降、資源配分の効率性が一貫して低下していることを記しています。
超低金利政策によって企業の新陳代謝が遅れていること、及び労働市場の硬直性も資源配分の非効率性、生産性低迷に影響を与えているとしています。
高齢者と女性の労働参加率がかなり向上したこと評価しつつ、働く高齢者の年金給付削減を止めること、女性の就労支援に資する保育の拡充、父親の家事・育児への参加の必要性等を指摘しています。
そのうえで、日本の労働市場は高齢化とAIの発展によって著しい変化を経験すると予測。労働力の流動性を向上させ、転職の障壁を減らすことが、高齢化による労働力不足とAIによる潜在的失業に対処するために不可欠と述べています。
上記のような対処には一定の時間を要するため、その間は外国人労働者が重要であることにも言及。過去10年間で外国人労働者数は3倍に増加したものの、他のOECD諸国に比べると外国人労働者の「役割」が低いとしています。外国人労働者の「比率」と言わずに「役割」と記している点が特徴的です。
産業政策には相当の予算が投入されているものの「包括的な費用効果分析」服するべきとしています。言外に政策効果に疑問を呈しています。
日銀の利上げ翌日の1月25日付の日経新聞が「脆弱な円安」という見出しの記事を掲載していましたが、IMF報告書も円安には同様の見方をしています。
「脆弱な円安」という表現は、円安が短期的には輸出増加、海外事業や海外子会社の儲け(第1次所得収支)の円換算額増嵩等に資する一方、長期的には原材料コスト増加、輸入物価高、日本(国及び国民)の購買力低下等のマイナス面のリスクが大きいことを表しています。
また、人口減少や高齢化、イノベーション停滞、DX(デジタルトランスフォーメーション)遅滞等の日本の構造的問題は円安では何ら改善、解決されるわけでもありません。円安に伴う輸入インフレ、生活負担増、購買力低下による将来不安等は、むしろ少子化加速や企業による賃金抑制等の弊害につながる蓋然性が高いと言えます。
デジタル化、IT化、DXが遅れている日本。デジタル赤字の増加を通じて、円安はますます日本の遅れを助長する可能性があります。
米国GAFAMに代表されるIT企業に支払う関連費用によって、日本のデジタル赤字は既に年間5兆円超。円安はこのコストをさらに増加させ、デジタル化、IT化、DXをさらに遅らせるリスクがあります。
こうした日本の状況を踏まえると、さらなる円安は外国人投資家の日本資産売却を促す傾向が強まると言えます。
円安が進むことで、日本の貿易赤字や経常赤字が拡大。経常収支悪化が円安を一層加速するという悪循環に陥ります。
但し、第1次所得収支は拡大。海外事業で好業績の企業で働く人、関係する取引先はその恩恵を被りますが、それ以外にとって円安は弊害の方が大きいでしょう。
日本銀行の長期にわたる超金融緩和政策そのものが「脆弱な円安」の土壌を生み出しているとも言えます。だからこその今回の利上げでしょう。
日本経済が競争力を低下させている背景には、人口減少や高齢化、イノベーションの停滞、硬直した規制、労働市場の問題、デジタル化の遅れなど、さまざまな要因が絡み合っています。これ以上の円安は「脆弱な円安」傾向を強め、日本経済にとってはマイナス効果の方が大きいと言えます。
さて、米国では第2次トランプ政権が本格始動しました。日鉄問題に象徴されるように、先行き不透明です。インフレ抑制のために金利引上げを想定しているFRB(連邦準備制度理事会)にも影響が及ぶでしょう。
IMF対日報告レポートの内容も、トランプ政権の動向によって大きく外れる場合があります。トランプ政権の今後に要注目です。(了)