【第279号】露地・露路

皆さん、こんにちは。九月です。今年の夏の酷暑にはまいりましたね。まだまだ暑い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。

かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。

暑い夏でしたが、庭や公園の早朝や夕方の露地は時に涼しげな一瞬がありますね。この時期にはひんやり感じることもあります。この「露地」「露路」も仏教に由来します。

「路地」と書けば「幅の狭い道」という意味ですが、「露地」「露路」と記すと仏教用語的な表現になります。サンスクリット語の「アービヤヴァカーシカ」を漢訳した言葉で「屋外」あるいは「何もない所」を意味します。

「露地」は雨除けの屋根や覆いもなく、雨露がかかる場所です。お釈迦様は野外で座して修行して覚りを開きました。このことに由来して「露地」は「何もない」「煩悩から解放される境地」を意味するようになりました。

「露地」の仏教用語的意味を理解するうえで「法華経」に登場する「三車火宅の譬」(七つの喩え話で仏教の教えを諭した法華七喩のひとつ)が参考になります。

長者(大富豪)の広大な屋敷の中で長者の子供たちが遊んでいる時に火事が起きました。屋敷の外にいた長者(父)は火事に気づかずに遊びに夢中(煩悩に囚われていることを暗喩)の子供たちに「早く出てきなさい」と言います。遊びに夢中の子供たちは父の言葉を聞こうとせず、屋敷の外に出てきません。

父は一計を案じます。「お前たちが欲しがっていた羊車、鹿車、牛車が家の外にある。

外に出てきたらそれを与えよう」と告げます。子供たちは喜んで燃え盛る屋敷から「露地」に出てきました。長者は安堵し、羊車、鹿車、牛車よりも子供たちが喜ぶ「大きな白い牛車」を与えました。

煩悩から解放されて「露地」に出て与えられた「大きな白い牛車」は仏の教えを暗喩しています。この話は「露地の白牛」とも言われます。

茶の湯の世界でも「露地」という表現を使うそうです。世俗(外界)と茶室を結ぶ道が「露地」です。茶の湯が広まった室町時代に使われるようになりました。

茶室に面して配された庭も「露地」と呼ぶそうです。茶室への通路という役割にとどまらず、茶室に入るまでに煩悩を捨て、身分も立場も関係なく、無垢になる準備の場所です。茶の湯は室町時代に禅宗が日本に持ち込んだことから、「露地」はとりわけ禅宗と関係の深い言葉です。

茶の湯の空間は、茶室だけでなく「露地」と一体となって構成されています。千利休は「露地」を「浮世の外ノ道」と表現しました。「仏道の世界」を暗喩しています。余談ですが、茶室は四畳半を目安にそれ以下を小間つまり「草庵」、それ以上を広間つまり「書院」と呼びます。「草庵」の「露地」は茶室に入るまでの道すがらであるのに対し、「書院」の「露地」は前庭や大庭園を「露地」風に造園したものです。

ではまた来月。