皆さん、こんにちは。三月です。いよいよ春本番。でもまだまだ寒い日が続きます。コロナも含め、くれぐれもご自愛ください。
かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。三月と言えば入試シーズンですね。入試に応募する人を「志願者」と表現しますが、この「志願」も実は仏教用語です。
「志願」という言葉は無量寿経といううお経の中に登場します。曰く「世自在王仏(せじざいおうぶつ)、その志願の深広なることを知らしめて」とあります。「志願」とは、読んで字の如く「こころざし」「ねがい」を意味します。
世自在王仏は法蔵菩薩(修行して覚りを得た後は阿弥陀如来)の師仏(先生)です。つまり上記のお経のくだりは「先生である世自在王仏は、弟子である法蔵菩薩の志願がとても深く広いものであることをお知りになり」という意味です。どのような「深く広い」志願だったのでしょうか。
法蔵菩薩は修行の前に「誓った願い」「志願」のひとつに「衆生(人々)を救済したい」ということを掲げました。そして、実際に覚りを得て阿弥陀如来になったので「その願いは叶っている」つまり「既に人々は救われている」と考えたのが親鸞さんです。
さて、ここで登場した「誓った願い」つまり「誓願」も当然仏教用語です。
お寺や仏教に関心のある皆さんは「四弘誓願(しぐせいがん)」をよくご存じのことと思います。「四弘誓願」とは菩薩(修行者)が仏教を学び仏道を極めようと決意した時に、最初に立てる「四つの誓願」のことです。全ての菩薩に共通する誓願です。
七高僧のひとりと言われる源信さんは自著「往生要集」の中に「四弘誓願」を記しています。第1の「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)」は「地上にいるあらゆる生き物をすべて救済する」という誓願を意味します。
第2の「煩悩無量誓願断(ぼんのうむりょうせいがんだん)」は「煩悩は無量だが、すべて断つ」という誓願。第3の「法門無尽誓願智(ほうもんむじんせいがんち)」は「法門は無尽だが、すべて知る」という誓願。第4の「仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)」は「仏の道は無上だが、かならず成仏する」という誓願。以上の4つが「四弘誓願」です。仏教のほとんど全ての宗派に共通するものです。
「今日は何だか難しい内容だなぁ」とお感じの方が多いと思いますが、「四弘誓願」は仏教において大切なことですので、どうぞご容赦ください。
「誓願」は仏教発祥の地インドの古い言葉であるサンスクリット語で「プラニダーナ」と言います。そして、インドでは「真実の言葉には不思議な力が宿る」という思想があります。「真実の言葉」はサンスクリット語で「サティヤ」と言います。自分が何らかの誓いを立て、その言葉が真実になるように努力することで「サティヤ」の力が高まり、それによって「願いが叶う」という考えです。日本語的に言えば「言霊(ことだま)」というニ
ュアンスです。
「誓願」を立て、日々努力することが大切ですね。ではまた来月。