【第271号】図に乗る

皆さん、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。寒い日が続きます。コロナやインフルに、くれぐれもご留意ください。

かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。

自由奔放、勝手気ままに振る舞っていると、「図に乗るな」と怒られることがあります。この「図に乗る」も仏教用語です。お経の唱え方に因んだ仏教用語です。

多くのお経には音階も節もなく、一本調子で棒読みのように淡々と唱えるのが普通です。同じ高さの音階で唱え続け、高くなったり低くなったりしないのがお経の一般的な唱え方です。

ところが、歌のような音階や節のあるお経もあります。それが「声明(しょうみょう)」や「梵唄(ぼんばい)」と呼ばれるものです。我が家の仏壇は浄土真宗です。

正信偈(しょうしんげ)というお経も読みますが、正信偈にもやはり音階があります。正信偈の経本には、「ここは上げて読む」「ここは節をつける」等々の指示がわかる「符号」や「記号」が記されており、それを見ながらお経を唱えます。つまり、お経版の楽譜です。

もっとも、楽譜といっても五本線の上にオタマジャクシみたいなものが置かれている譜面とは違います。お経の横に音階の変化や節の調子を表す「符号」や「記号」が記されており、知らない人が見るとが何だかよくわかりません。単なる「図」のように見えます。

そうした「符号」や「記号」の意味を理解し、言わば「図」のようなお経の譜面を見ながらお経を唱えます。つまり、お経の右側に描かれている「符号」や「記号」の「図」が「図に乗る」の「図」です。つまり「お経の楽譜」とも言えるこの「図」のことは「如来唄(にょらいばい)」と呼ばれます。

お経の楽譜である「如来唄」の「図」を見ながら、難しい転調や節回しが上手くいくことを「図に乗る」と言います。

「図」のとおりに上手く唱えることは難しいので、上手く唱えられれば「図に乗れていた」と誉められます。つまり「図に乗る」ことは難しいので、仏教的には「図に乗る」とは本来誉め言葉です。

「図に乗る」ことは素晴らしいのですが、時々「図に乗り過ぎる」お坊さんや信者さんもいたようです。つまり、まさしく歌を歌うかの如くお経を唱えるので、そういう場合には「図に乗り過ぎている」と言われます。それが日常会話では「調子に乗る」「つけあがる」という批判的な意味を含んだ表現として定着していきました。お気づきだと思いますが、「調子に乗る」の「調子」はつまり「如来唄」の節回し(歌のような唱え方)のことです。

自分を律して「調子に乗り過ぎない」ことは大切なことですが、ついつい忘れがちになるのが世の常、人の常。だから「図に乗る」という仏教用語の誉め言葉が戒めの言葉に転嫁しました。欲や慢心を律することは難しいということですね。

日常会話の中に定着した仏教用語は本来の意味と反対の使われ方をしているものが大半です。「図に乗る」も典型例ですね。ではまた来月。