皆さん、こんにちは。梅雨の季節ですね。腰痛などに気をつけてください。くれぐれもご自愛ください。

かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。

大須演芸場は名古屋では今や唯一の寄席。その寄席では、落語や講談、浪花節など演芸を演じる場所を高座と言います。この「高座」、実は仏教に関係する言葉です。

お寺で法要を行う際に、導師の座る仏前の一段高い座を「登高座(とうこうざ)」と言います。もともとは、お釈迦様が覚りを開かれた「金剛宝座」をかたどって、説教の時に一般席より高く設けた台のことを指します。この「金剛宝座」から始まり、仏壇の前に説教者(講師)と導師(読師)が座る「高座」となっていきました。つまり、元々は僧侶が弟子に教えを説いたり、信者に説教をする場合の高い壇のことが「高座」です。

仏教はインドから中国に伝来しましたが、中国では導師が高い場所に座るという習慣はなかったそうです。やがて「高座」が伝わり、そこに座って説教する僧は「高座道人」と呼ばれるようになります。

高座が置かれた「講堂」は、寺院において経を講じたり、法を説く堂宇です。中国の六朝時代にそうした形式が普及し、日本では奈良時代に始まり、唐代の伽藍配置にならって金堂(本堂・佛堂・仏殿)の背後に「講堂」が置かれました。

「講法堂」とも呼ばれ、禅宗寺院では「法堂(はっとう)」とも言います。大勢の僧侶が参集するため、金堂より大きく造り、多くは装飾性のあまりない、正面が幅八間以上の大規模な建築物です。

法隆寺金堂の背後にある「大講堂」はその代表例です。現存する「講堂」では、西暦七六〇年創建の唐招提寺講堂が最古の建築物で、平安時代に再建された法隆寺「大講堂」はそれに次ぐ古さです。鎌倉時代以後はあまり造られなくなりました。

本尊を安置し、講師はその前の「礼盤(らいばん)」で教えを講じ、弟子の僧侶や信者は左右に分座して聴聞(ちょうもん)し、問答します。

「食堂(じきどう)」が修行の場であるのに対し、「講堂」は修学の場です。つまり「食堂」も仏教用語です。

唐代から俗講が盛んになるにつれて、「高座」の構造は民間芸能の場にも及び、やがて日本に伝わると寄席の「高座」の語源になりました。

江戸時代後半の一八〇七年、寄席に高座を設けることは、講釈師伊東燕晋(えんしん)の願い出によって幕府に認められました。畳一枚の固定した高座です。文化・文政年間(一八〇四~三〇年)頃の寄席には小さな壇がある程度でしたが、天保年間(一八三〇~四四年)頃から徐々に高座が大きくなり、明治以後、寄席の舞台そのものが高座になりました。寄席では高座に緋毛氈(ひもうせん)をかけ、金屏風を背にする演出も普及しました。

戦後、お寺でも演台に立って説教が行われることが多くなり、説教者の座る「高座」の残る本堂は少なくなりました。「高座」はもっぱら寄席にその名を残しています。