【第255号】しょっちゅう

皆さん、こんにちは。九月になりましたね。秋本番が待ち遠しいですが、朝晩冷え込む日が出てくる時期です。くれぐれもご自愛ください。

かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。

今年も暑い夏でした。三十度越えはしょっちゅうであり、四十度近い日もありました。台風もたくさん来ました。しょっちゅう台風が発生していた印象です。

さて、上記の文章に登場した「しょっちゅう」。日常会話でしょっちゅう使う「しょっちゅう」ですが、実はこれも仏教用語です。

「しょっちゅう忘れ物する」「しょっちゅう練習をさぼる」等々、どちらかというと否定的な表現の時に使われることが多いですよね。「しょっちゅう忘れ物をしない」「しょっちゅう練習をする」と言うと、少し違和感があります。

しかし、違和感のある使い方の方が正しい意味なのが仏教用語としての「しょっちゅう」です。

お釈迦様は、説法や布教の旅に出かける弟子たちに、次のように言いました。曰く「初め善く、中頃も善く、後(終)にも善く、道理に沿った教えを説きなさい」。つまり、初めから最後まで、常に道理をわきまえた教えを説くように弟子たちの自覚を促したのです。

この逸話に由来するくだりがお経の中に登場します。例えば、法華経にも「正しい教えを説くに、初善、中善、後善なり」と記されています。

この表現がやがて短縮されて「初中後(しょちゅうご)」という言葉になり、逸話の含意を「初中後」というひと言で表現するようになりました。

さらに最後の部分の「後」が略されて「しょちゅうご」→「しょちゅう」→「しょっちゅう」と変化していったと言われています。

「後」の字の箇所は「終」と記して「初中終(しょちゅうじゅう)」と言っていた言葉が、やはり短縮されて「しょっちゅう」になったという説もあります。

「初め、中頃も、後(終)にも」ということは「常に」「いつも」という意味です。しかも「初め善く、中頃も善く、後(終)にも善い」のですから、単に「いつも」ということではなく「いつも善い(良い)」ことを求めているのが「しょっちゅう」という言葉の含意です。

 したがって「しょっちゅう真面目に仕事をする」という使い方が仏教用語的な本来の意味であり、「しょっちゅう仕事を怠ける」というのは日常用語として定着した俗っぽい使い方と言えます。

お釈迦様の説法や教えは「初め善く、中頃も善く、後(終)にも善い」のは当然のこととして、弟子たちにも「しょっちゅう善い(正しい)仏法を説きなさい」と求めた言葉から生まれたのが「しょっちゅう」です。

お釈迦様の説法のようにはいきませんが、かわら版でも「しょっちゅう善いこと」をお伝えできるように頑張ります。ではまた来月。