皆さん、こんにちは。いよいよ秋ですね。だんだん寒くなります。くれぐれもご自愛ください。

かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。

熟年世代が馴染んでいる言葉の中には、若い世代が使わないものもあります。例えば、最近の夫婦はお互いをパートナーと呼びます。夫のことを「うちの旦那」とか「うちの主人」と表現する奥さんは少なくなったような気がします。

サンスクリット語(梵語)の「ティリヤンチュ」が語源です。仏教においては人間以外の全ての動物のことを指します。そして、人間を含む生き物の状態を六道(この「旦那」も仏教用語です。「檀那」とも書きます。

サンスクリット語(梵語)の「ダーナ」が語源。「ダーナ」は「与える」「贈る」「布施をする」を意味します。西洋に伝わって英語にも取り込まれて「ドネーション(寄付)」「ドナー(寄付者)」といった単語に転化しました。さらに英語が日本語化して「ドネーション」「ドナー」という言葉は日常会話でも使いますよね。

布施や寄進をしてくれる人を「旦那(檀那)」または「檀越(だんおつ、だんえつ)」とも言います。そこから派生して「檀家」という言葉も生まれました。

中世以降、お寺に限らず神社においても祈祷などの依頼者を「旦那」と称するようになり、その言葉が浸透して、やがて奉公人が店の主人を呼ぶ場合の敬称や、奥さんが夫を呼ぶ場合に使われるようになりました

仏教用語における「旦那」は見返りを求めません。布施をすること自体が仏教では修行です。今を生かされていることに感謝しつつ、お金に対する「欲」や「執着」を捨てること、お金はいろいろなご縁で「天下のまわり物」としてたまたま手元にあるだけのこと。それを体得するために布施をします。

その結果、宗派やお寺の維持、僧の生活のために、見返りを求めずに布施してくれる人たちを「旦那」と呼ぶようになりました。その「旦那」がやがて夫のことを指すようになりましたが、「旦那」は見返りを求めることなく妻や子供のためにお金を稼いできて面倒をみるからこそ「旦那」。それが仏教的な語源に忠実な「旦那」です。

そんな話をあるご住職としていたところ、ご住職曰く「一生懸命尽くしてもなかなか『旦那さま』とは呼んでもらえないのが『娑婆』の世界。何ごとも修行、修行」と笑っておられました。「娑婆」も昨年ご紹介しましたが、仏教用語です。

ちなみに、男性のことだけを「旦那」と呼ぶわけではありません。江戸時代には奉公者が女主人や奥女中を「旦那」と呼ぶこともあったそうです。

一方、品の悪いことわざに「金があれば馬鹿も旦那」というものがあります。時代劇でお客のことを「旦那」と呼ぶ場合がこれに該当しますね。「馬鹿」も仏教用語です。ちょっと前にご紹介しました。仏教用語だらけです。

「欲」や「執着」を律し、「苦」を脱して「覚(悟)り」を開くのが「旦那」の修行。日常会話の中の仏教用語の意味を知ることから、生きるうえでの様々な「知恵」が湧いてきます。「知恵」も仏教用語です。

それではまた来月、ごきげんよう。