皆さん、こんにちは。八月も後半に入りましたが、まだまだ暑い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。
かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。
さて、先月は「馬鹿」についてお伝えしました。サンスクリット語の「モーハ」という言葉が、お釈迦様の弟子パンダカの覚りの逸話から漢字で「茗荷(バカ)」に転じたところまでお伝えしました。お忘れの方は先月号を是非もう一度お読みください。
さて、「パンダカ」が転じて「茗荷」になりましたが、まだ「馬鹿」にはなっていません。「馬鹿」になるにはもうひとつの中国の逸話が影響しています。それは秦の悪臣「趙高」にまつわる話です。
秦の始皇帝が没した後に二世皇帝が即位したものの、実権は宦官の趙高(ちょうこう)が握っていました。趙高は丞相(首相)の地位まで上り詰め、やがて秦を自分のものにする野望を抱き始めました。
皇帝寄りの家臣もいます。そこで趙高は、どの家臣が自分の側につくかを把握しておく必要があると考え、一計を案じました。
趙高は宮中に鹿を連れてきて「珍しい馬です」と言って皇帝に献上しました。皇帝は「鹿だろう」と尋ねたところ、家臣の中には皇帝の言葉を肯定して「鹿です」と言う者と、趙高を恐れて「馬です」と答える者に別れました。
皇帝の「鹿」に同意するか、趙高の「馬」に同意するかで踏み絵を踏ませたという逸話です。趙高は「鹿」と答えた家臣を敵とみなし、粛清しました。
「馬鹿」とはなんと虚しい言葉でしょうか。肯定的なパンダカの「茗荷」の逸話とは逆で、「欲」にまみれ、権力に阿(おもね)る者を「馬鹿」と評しました。
もうひとつ別の逸話もあります。禅語の「担板漢(たんぱんかん)」に由来します。「担板漢」は「板を担ぐ漢(おとこ)」。「担板」は幅が広く、右肩に担ぐと左側は見えますが右側は板が邪魔で見えません。左肩に担ぐと今度は左側が見えなくなります。こんな人が雑踏を歩いていたら周囲の人はさぞ迷惑。「ちゃんと周りを見なさい、バカ者」と叱られます。
「担板漢」とはつまり、物事を一面からしか見ていないにもかかわらず、その一面だけで全てを見たかのように知ったかぶり、真実や全体像に目を向けない愚かさを象徴する言葉です。未熟な修行僧は「一面に捉われるな」という意味で師匠から「担板漢」と言って叱られるそうです。要するに「バカ者」という意味です。
この「たんぱんかん」の音が短縮されて「バカ」に転化し、「悪臣趙高」の逸話とも結びついて「馬鹿」という漢字になっていきました。
パンダカのような純粋さを象徴する「茗荷」、趙高のような欲に溺れる愚かさを象徴する「馬鹿」、偏らない物の見方を諭す「担板漢」。どういう経過で「モーハ」の漢訳「慕何」「莫迦」が「馬鹿」になったのかは、今も諸説あって論争の的です。面白いですね。
それではまた来月。ごきげんよう。
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