皆さん、こんにちは。早くも初夏の季節です。新緑を眺めて自粛疲れを癒しましょう。くれぐれもご自愛ください。
かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。
入園、入学から一ヶ月が経ちました。初めて家族以外と集団生活をする幼稚園年少園児、本格的な学校規則に直面する小学校一年生。行儀やマナーを身につけなくてはなりません。コロナ禍で制約のある生活ですから、教えられる行儀やマナーも通常とは違うかもしれません。たいへんです。
ここで登場した「行儀」も仏教用語です。日常会話的には、いろいろな場面での立居振舞、礼儀作法などのことを指しますが、仏教用語的には戒律の「律」を表す言葉です。
十二世紀の「四分律行事鈔資持記(しぶんりつぎょうじしょうしじき)」という律宗の書物の中に「行儀とは行事の軌式を謂ふ。像末(ぞうまつ)の教を以て行儀を顕さずんば安(いずく)んぞ能く久しく住せんや」と記されています。「戒律あるいは生活や行事のかたちを整えることが肝要である」という意味です。
このように仏教用語の「行儀」は、仏事の方式、僧の行為や動作の作法を表す言葉として使われていました。
「行儀」という言葉が僧以外の一般の人々の言動に関して使われるようになったのは室町時代からと言われています。
御伽草子の「猿源氏草紙(さるげんじそうし)」の中で「かの殿のふだんの行儀を委(くわ)しく知りて候」と記されているのは、今日の日常会話での使われ方の原形です。さらに進んで「行儀が良い」「行儀が悪い」という使われ方は、近代に登場した用法です。
幼稚園児や小学校一年生が身に付けるものとしては、食事の際の「行儀」もそのひとつ。「いただきます」の挨拶や、食堂での所作です。この「食堂」も仏教用語です。
日常会話的には「しょくどう」と読みますが、仏教用語では「じきどう」です。
「食堂」は修行僧が食事をする堂宇。お寺には「七堂伽藍」と称される七つの建物があり、「食堂」はそのひとつ。食事の作法を身につけ、食物への感謝を通して自己研鑽する場です。
「食事」も「じきじ」と読み、仏教用語です。動物も植物も全て命です。人間が生きることは他の命をいただくこと。人間は他の生物の命を奪うことなしに生存できません。「食事」は修行の中でそのことを自覚し、命をいただくことに感謝をする修行の機会です。
明治になり、若者が故郷を離れて各地の高等学校や大学で学びました。若者たちは寄宿舎や学生寮に入りましたが、そこでの食事室がやがて「食堂」と呼ばれるようになりました。
関東大震災以後、東京では安く食事を提供する店が急増し「大衆食堂」と呼ばれるようになりました。「大衆(だいしゅ)」は修行僧のことを表す仏教用語。過去にご紹介したとおり「学生(がくしょう)」も仏教用語です。
「学生食堂」「大衆食堂」は全部仏教用語。いやはや驚き。それではまた来月、ごきげんよう。
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