【第226号】正真正銘

皆さん、こんにちは。ずいぶん暖かくなってきました。コロナ禍の自粛疲れを癒し、春本番をお楽しみください。でも感染再拡大には気をつけて、くれぐれもご自愛ください。

かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。

さて、日本の春夏秋冬は素晴らしいものですが、季節感というのはなかなか微妙なもの。春と言えば三月から五月ですが、三月はまだ寒いし、五月はもう初夏のような日も多く、正真正銘の春と言えば、やっぱり四月ですね。

と言って使った「正真正銘」、これも仏教用語です。日常会話的には「これぞ本物」「嘘偽りのないこと」などを強調するために使われるのが「正真正銘」です。

日本に伝わった経典は、もともとはサンスクリット語(梵語)で書かれており、それをインド、西域、中国の訳経僧が最初は西域の言葉に、さらにはそれを漢訳したものです。サンスクリット語から直接漢訳されたものもあります。

多くの天才的な訳経僧が活躍しました。そのうちのひとり、紀元三世紀頃の竺法護(じくほうご)というインドの僧は「正法華経」を翻訳し、その中でブッダ(お釈迦様)の正しい覚りを「無上正真道」と訳しました。「正真」という言葉はここから派生しています。

「正真」はお釈迦様の覚り、智慧(知恵)、知見、見識です。お釈迦様の覚りの内容はサンスクリット語でニルヴァーナ、漢訳で「涅槃」と言います。「欲」や「執着」が「苦」を生みます。「欲」や「執着」は「嫉妬」や「煩悩」の火種となり、時には大きな炎となって自らも焼き尽くします。

お釈迦様はそうした「欲」や「執着」から解放されることを覚り、「涅槃」の境地に達したのです。その覚りが「正真」であり、言わば「涅槃」と同じような意味かもしれません。

それに続く「正銘」は「正しい銘が刻まれている」という意味であり、「正真」と同義語。つまり「正真正銘」は同義語を重ねて「本物の覚りの証(あかし)」であることを強調し、そこから「本物の証」という日常会話の使われ方に転化していきました。

「正真正銘」の反対は何かと言えば「嘘八百」。江戸時代、江戸市中の町の多さ、大坂市中の橋の多さから「八百八町」「八百八橋」という表現が登場しました。

お釈迦様の教えの数多さが「八万四千」という数で表されたことに端を発し、「八」は数の多さを示す代名詞となり、「八万地獄」「八万奈落」などの言葉につながっていったと言われています。

その流れで、嘘ばかり言っていることが江戸の町民から「嘘八百」と言われるようになりました。

「正真正銘」とは反対の「嘘八百」も仏教と微妙に関連しているのには驚きました。

「欲」や「執着」から解放されれば、「正真正銘」の覚り。何かに「嫉妬」したり「煩悩」から「嘘八百」を言う必要もなく、心穏やかに過ごせますね。

それではまた来月。ごきげんよう。