皆さん、こんにちは。今年も十一月。寒くなってきたうえに、年末の慌ただしさが増してきます。くれぐれもご自愛ください。
かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。
年末が近くなると、忘年会シーズン。今年は自粛気味かもしれませんが、毎年恒例の気の合う友人同士の忘年会。「あうんの呼吸」で日程が決まります。
この「あうん」も仏教用語です。漢字では「阿吽」と書きます。
仏教とともに日本に伝えられたサンスクリット語は梵字(ぼんじ)とも言います。その梵字にもひらがなの五十音のようなものがあり、その最初の「ア」の字、最後の「フーン」の字を漢字で音写したものが「阿吽」です。
始まりと終わりにちなんで、全ての物事の始まりと終わりを意味します。仏教とりわけ密教では、一切の万物が発生する根源とその究極の帰着、宇宙の始まりから終わりまでを表す言葉です。
つまり「阿」は万物が発生する原理、「吽」は万物の帰着、あるいは「阿」は覚(悟)りを求める菩提心、「吽」はその結果としての涅槃。わかったような、わからないような話ですが、そこは「阿吽の呼吸」で理解してください(笑)。
このように「細かい説明はしないけど、阿吽の呼吸でわかってよ」「まあ、いろいろあるけど、長い付き合い、阿吽の仲なんだから理解してよ」というように、いかにも日本的な意思疎通にぴったりの概念だったので、日常会話の中にも定着したのでしょう。
「言わなくてもわかり合えること」「言葉にしなくても通じ合うこと」が「阿吽」の仲です。
口を開けた「阿形(あぎょう)」、口を閉じた吽形(うんぎょう)の一対の像は、お寺の金剛力士像(仁王像)、神社の狛犬(本来は獅子と狛犬の一対)、沖縄のシーサーなどにみられます。
「阿吽の呼吸」に似た「以心伝心」という四文字熟語。仏教とりわけ禅宗では、言葉では表せない仏法の真髄を無言のうちに師から弟子に伝えることを意味する仏教用語です。
十世紀頃の中国北宋の仏教史書「景徳伝灯録」という文献の中の記述、「仏の滅する後、法を迦葉に対し、心を以て心に伝う」に基づきます。
この記述に登場する「迦葉」はお釈迦様の十大弟子のひとり「マハーカッサパ」。別名「頭陀第一」とも言われたお釈迦様の後継者です。
ちなみに日泰寺山門の一対の像は「阿形」と「吽形」ではなく、その「迦葉(かしょう)尊者」と、お釈迦様の従兄弟の「阿難(あなん)尊者」。阿難尊者はお釈迦様の教えを一番たくさん聞いていたので「多聞第一」とも呼ばれました。
日泰寺の尊像は「阿形」と「吽形」でないことは、「阿吽の呼吸」でご理解ください。
それではまた来月、ごきげんよう。