皆さん、こんにちは。異常な猛暑が続いています。再拡大のコロナとともに、熱中症などにくれぐれもお気をつけください。
かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。
「死にそうに暑い」「いやそんな大げさな」との会話も珍しくない近年の酷暑ですが、「大げさ」は漢字では「大袈裟」と書き、実は仏教用語です。「袈裟」はお坊さんの装束のことです。
今から二五〇〇年前、シャークヤ(釈迦)国の王子だったお釈迦様は修行の旅に出るためにお城を出奔。頭を剃って、身につけていた立派な衣服を漁師の粗末な服と交換しました。修行に立派な衣装は必要ないからです。
その逸話から、弟子や修行僧もお釈迦様の質素の精神、本当に必要なことだけを志向する精神を尊び、粗末な布をまといました。つまり、袈裟は質素なものだったのです。
日本に仏教が伝来したのは六世紀。時代とともにお釈迦様の質素の精神は薄らぎ、「袈裟」は修行の衣服から儀式の衣服に変化し、だんだんと華美なものになっていきました。
やがて、質素とはほど遠く、実態とかけ離れたという意味で「大袈裟」という言葉が誕生しました。
暑い夏には帽子をアミダにかぶって首筋を隠さないと日射病、熱射病になりますね。この「アミダにかぶる」の「アミダ」は阿弥陀様の「阿弥陀」です。
「アミダにかぶる」とは、斜めにかぶるのではなく、全方向に均等に丸いツバがある帽子を少し後ろ下がりにかぶること言います。ちょっと小意気な感じがします。
少し後ろにずらした帽子のツバが阿弥陀様の後光(光背) に見えたことから「アミダにかぶる」という表現が誕生しました。
余談ですが、「アミダくじ」の「アミダ」も「阿弥陀」です。昔の「アミダくじ」は放射状に書かれたため、やはり後光に喩えて「アミダくじ」と言われるようになりました。
暑い夏は洗いざらしの衣服が気持ちいいですが、この「洗いざらし」も仏教用語です。その昔、お産で亡くなった女性の霊を弔うために川辺に布をかけ、通りがかりの人々に水をかけてもらって布が色褪せると霊が浮かばれて成仏すると信じられていたそうです。その仏教儀式を「洗いざらし」と言い、そこから派生した表現のようです。
今年はコロナで夏祭りも中止の先が多いようですが、お祭りの「ハッピ」も仏教用語です。「法被」と書いて「ハッピ」。高僧の座る席に豪華な金襴の布をフワっと被せる作法から派生し、衣服の上にフワっと着る羽織に似た裾の短い上着のことを指すようになりました。
夏はカバンを持って歩くより「ずだ袋」のように首からかけるカバンの方が両手も空いていいですね。この「ずだ袋」も「頭陀袋」と書く仏教用語。修行僧が首にかけて持ち歩いた粗末な布製の袋が「頭陀袋」。中にお経、数珠、お布施などを入れます。
今月も仏教用語だらけですね。それではまた来月、ごきげんよう。