【第210号】堪能・無尽蔵・シャカリキ

皆さん、こんにちは。今年もあとわずか。早かったですね。寒い日が続きます。風邪など召されぬよう、くれぐれもご自愛ください。

日常会話の中に登場する仏教用語をお伝えしているかわら版。少しでも読者の皆さんのお役に立てば幸いです。

さて、一昨年からお届けしてきたこのシリーズ。堪能していただけましたでしょうか。と述べた「堪能」も仏教用語です。

仏教用語としては正しくは「カンノウ」と読みます。読んで字の如く「堪える能力」を意味します。

天台大師と尊称される隋の高僧、智顗(ちぎ)の著書「摩訶止観(まかしかん)」の中に、「勝れたる堪能を得る。名づけて力となす」というくだりがあります。すなわち、「困難に堪える能力」を「力」と呼びます。

やがて「語学に堪能な人」「音楽に堪能な人」のように、学芸に習熟し、優れていることを表す言葉となる一方、「食事を堪能した」のように、何かを満喫したという意味にも転じました。

何かに秀でるのも、何かを満喫するのも、そこに至るには「堪える能力」が必要です。簡便な取り組みでは、秀でることも、満喫することもできません。

日常会話の中に登場する仏教用語。まだまだあります。探せば、無尽蔵です。と言った「無尽蔵」も仏教用語。

仏教、つまりお釈迦さまの教えは「尽きることのない無限の功徳」であるため、そのことを「尽きることのない財宝の蔵」に比喩して誕生した言葉が「無尽蔵」です。

日本仏教の礎を築いたひとり、奈良時代の行基は、衆生(人々)に功徳を及ぼすために、子どもたちや病んだ人を救済するために孤児院や病院などを創って運営しました。

こうした「尽きることのない無限の功徳」すなわち「無尽蔵」は仏教福祉、あるいは現代の社会福祉の源流とも言えます。

日常会話の中の仏教用語をシャカリキになってお伝えしてきましたと言って使った「シャカリキ」も仏教用語。漢字で書くと「釈迦力」すなわち「お釈迦さまの力」。

お釈迦さまは全身全霊、全力を尽くして、衆生(人々)を救おうとしました。そのような無垢で真摯で必死な取り組みのことを「シャカリキ」と表現します。

と言って使った「言語道断」も仏教用語です。「許し難い行為」「とんでもない」などという意味で使われますが、仏教用語的には覚りの境地を表す良い言葉です。

中高年以上の世代の日常会話的には「そんなにシャカリキになるなよ」などという表現が登場しますが、この場合は「りきむ」というような意味合いが込められています。本来は「一生懸命に取り組む」というように、肯定的な意味合いで使うのが正しいようです。

日常会話の中の仏教用語、まだまだ尽きません。まさしく無尽蔵ですが、本年はここまでとさせていただきます。それでは皆さん、よい年をお迎えください。来年もよろしくお願い申し上げます。