皆さん、こんにちは。もうすぐ冬、晩秋ですね。朝晩は冷え込みます。くれぐれもご自愛ください。
日常会話の中に登場する仏教用語をお伝えしているかわら版。少しでも読者の皆さんのお役に立てれば幸いです。
米国と中国、英国とEU(欧州連合)、何やらもめてますねぇ。日本の国内もいろいろ起きています。とかくゴタゴタが絶えません。この「ゴタゴタ」も実は仏教に由来する言葉です。
先々月、先月と「ガタピシ」「ウロウロ」という言葉をご紹介しましたが、「ゴタゴタ」は仏教用語というよりも仏教の逸話の中から生まれた言葉です。
鎌倉時代、宋から日本に渡ってきた「兀庵普寧(ごったんふねい)」というお坊さんがいました。この兀庵和尚は理屈っぽい性格でした。
ある時、鎌倉の建長寺で開かれた法要で一悶着を起こします。
ご本尊の地蔵菩薩の前に進み出た兀庵。ご本尊を礼拝することもなく、何やら言い始めました。
何と、建長寺のご本尊の地蔵菩薩は自分より仏界での位が低いので、地蔵菩薩が降りて来て兀庵に挨拶するのが筋だと言うのです。何だかよくわかりませんが、気難しいお坊さんです。
以来、兀庵は事あるごとに何かと口煩(うるさ)く、理屈を述べ立て、皆を困らせました。
この「無漏」は、室町時代の僧、皆さんよくご存じの一休宗純の名前の由来とも関係しています。
そのため、仲間の僧たちは口々に「また兀庵が何か言っているよ」「兀庵(ごったん)、兀庵(ごったん)と、まったく溜息が出るねぇ」と言うようになり、いつの間にやら「揉めごとや争いごとが絶えないこと」を「ゴタゴタする」と言うようになったそうです。
時代が下ると、さらに意味が転じて、未整理なことや混迷していることを表現する時にも「ゴタゴタしている」などと言うようになりました。
まったく困ったお坊さんです。仏界では地蔵菩薩より自分が上だと主張することなど、言語道断。不謹慎ですねぇ。
と言って使った「言語道断」も仏教用語です。「許し難い行為」「とんでもない」などという意味で使われますが、仏教用語的には覚りの境地を表す良い言葉です。
言語で表現する道を断つことによって、覚りに至るということです。言語や言葉は迷いのもと。人間はとかく言語や言葉のイメージを勝手に膨らませ、自分の価値判断で物事を判断してしまいます。そういう心は仏法が戒めるところ。だからこそ、何事も言語道断の姿勢で臨むことが必要です。
「男らしくない」「女らしくない」と簡単に言いますが、「男らしい」「女らしい」の受け止め方は人によって異なります。
仏教は、自分の価値観で善悪、正邪を決めたり、物事も「捌く」「裁く」ことを戒めます。「言語道断」で沈思黙考し、自分自身を見つめ、自省・内省することが大切。それが仏教の教えです。
それでは皆さん、また来月お会いしましょう。