皆さん、こんにちは。早いもので九月。今年も終盤ですね。だんだんと朝晩は冷え込む日も増えてきます。くれぐれもご自愛ください。
日常会話の中に浸透している仏教用語をお伝えしているかわら版。仏教用語がたくさん定着しているのには驚きます。
九月と言えば台風シーズン。しかし、九月を待たずに台風被害が相次いでいます。最近は地球温暖化の影響で台風の規模も巨大化。台風の備えは大丈夫でしょうか。
さて、この「大丈夫」も仏教用語です。「体調は大丈夫?」「仕事の準備は大丈夫、任せてください」などと、日常用語の中に頻繁に登場しますね。
仏教では「丈夫」は「菩薩(ぼさつ)」のことを意味します。菩薩とは人々を救うため、世の中を良くするために、自ら覚りを得ようとしている修行者のことを言います。
仏教典の原語であるサンスクリット語の「マハー・プルシャ」が大丈夫と訳されました。マハーは「偉大な」、プルシャは「人間」。つまり「偉大な人間」。それが転じて菩薩のことを指すようになりました。
現代語の「大丈夫」は「問題ない」「準備万端」「自信ある」というような意味。それもそのはず、「偉大な人間」ですから何事に対しても大丈夫なはずです。
広辞苑によると「とりわけ壮健なこと」「あぶなげのないこと」「間違いのない様」などと書かれており、英語の「ノー・プロブレム」に近い言葉です。
しかし、本来の意味がわかってしまうと逆に「大丈夫、大丈夫」と簡単には言いにくくなりますね(笑)。そこが重要です。「何があっても大丈夫」という自信の気持ちとともに、自分が「偉大な人間」などと思わずに、謙虚に対応することが重要です。
仏教が漢語に翻訳された段階では、学識人徳の備わった優れた人を「丈夫」と褒め称え、「丈夫」に「大」がついた「大丈夫」は仏の異名となりました。つまり、「私は大丈夫」という表現は「私は仏。完璧な人間です」という意味になります。
やがて、室町時代ぐらいから「大丈夫なり」という表現が使われるようになり、現代語につながっていきました。
「君、今年の業績は大丈夫か」「社長、大丈夫です」、「こんな天気で出かけて大丈夫かな」「大丈夫だよ、きっと何とかなるよ」等々、社会活動や個人の日常会話の中で頻繁に登場する「大丈夫」。これほど「大丈夫」が多用される現代社会は、逆に間違いや自信過剰の多き世の中である証かもしれません。「想定外」とは「大丈夫」に根拠がなかった結果です。
「準備万端、大丈夫」と過信せずに努力を怠らないこと、「健康は大丈夫」と過信せずに暴飲暴食を慎むこと、「人間関係は大丈夫」と過信せずに周りの気持ちを慮ること。「大丈夫」という言葉を使うたびに、「過信せず、謙虚に」ということを思い起こすことが大切です。仏教はそれを教えています。
日常会話の中に浸透している仏教用語。まだまだたくさんあり、知らないことばかり。奥が深いですね。