皆さん、こんにちは。新緑の季節ですね。でも、朝晩は冷え込む日もあります。くれぐれもご自愛ください。
日常会話の中に浸透している仏教用語をお伝えしているかわら版。仏教用語がたくさん定着しているのには驚きます。
四月、五月は、学校や会社の新人歓迎会等で一杯飲む機会が多い季節です。最近の若い人はあまりお酒を飲まなくなりましたが、今の四十歳代より上の世代は、新人歓迎会等で無理に飲まされて二日酔いになったり、自ら深酒して呂律(ろれつ)の回らなくなった先輩に閉口した経験があるのではないでしょうか。
飲みすぎて、舌が回らず、言葉がはっきりしないことを「呂律が回らない」などと言いますが、この「呂律」も実は仏教用語です。
仏教ではお経に節や旋律をつけて歌のように唱えることがあります。声明(しょうみょう)とか梵唄(ぼんばい)といいます。現代風に言えば仏教音楽でしょうか。ご詠歌(えいか)も仏教音楽には欠かせないですね。
この声明の旋律には、「呂(りょ)」「律(りつ)」「中曲」の三種類の音階があります。そのことに端を発して、「呂律」は声明の調子、音の調子という意味になりました。
因みに、京都・大原三千院には、上述のような声明の構造を踏まえて、「呂川」「律川」と名づけられた川が流れています。
「呂律」の読みが「りょりつ」から「ろれつ」に変化し、言葉の調子という意味になったようです。
「コンパや宴会の2次会にカラオケはつきもの。「呂律」が回らないぐらい酔っていても、カラオケでマイクを握ったら、見事に歌う「達者」な人がいますよね。
「達者」な人は何かに長けた人のことを指します。また、お年寄りに対して「お達者ですね」と言う時は、「お元気ですね」「健康ですね」という意味ですね。「フーテンの寅さん」などの映画の台詞では、しばしの別れの際の送る言葉として「達者でな」と言いますが、これは「元気でな」という意味です。よく使うこの「達者」も仏教用語です。
仏教では、真理に到達した修行者、覚りに至った者を「達者」と表現します。学ぶべきことを学び終わり、真理に到達した者、という意味ですが、転じて現代では、年齢を重ねて長じた高齢者に対する敬意の言葉、何かに秀でた人を褒める言葉として定着しました。
いやはや、これほど日常会話の中に仏教用語が多いと知ると、何だか気になって「呂律」が回らなくなりそうです。仏教用語に「達者」にならないといけないですね。
日常会話の中に浸透している仏教用語。まだまだたくさんあり、知らないことばかり。奥が深いですね。