皆さん、こんにちは。十月、秋本番ですね。朝晩は肌寒い日が増えました。くれぐれもご自愛ください。

日常会話の中に浸透している仏教用語をお伝えしている今年のかわら版。仏教用語がたくさん定着しているのには驚きます。

先月はお彼岸(ひがん)。お墓参りに行かれた方も多いことと思います。「彼岸」が仏教用語であることは、何となくわかります。

お彼岸は秋分・春分の日を挟んで前後三日間の期間。合計七日間のちょうど真ん中をお中日(ちゅうにち)と言います。お彼岸は中国やインドにはない日本独特の風習。日本古来の習慣が、伝来した仏教信仰と結びついて生まれたようです。

「彼岸」は「向こう岸」という意味です。対(つい)になる言葉は「此岸(しがん)」。「こちらの岸」を意味します。

つまり、人間の世界の「此岸」に対して、仏の世界の「彼岸」。悩ましい人間世界に対して、心穏やかに過ごせる平和な世界。

実は「世界」も仏教用語です。「世界」は、仏教の原典が著されたサンスクリット語で「ローカ・ダーツ」と言います。「ローカ(世)」は「広がりのある空間」、「ダーツ(界)」は「さまざまな存在」。つまり「世界」とは、さまざまな存在で構成される広がりをもった空間という意味です。

さまざまな人間がいるために争いごとが絶えません。争いごとが絶えないのは、それぞれが「自分はこうしたい」「相手は間違っている」と自分の判断基準で物事を考え、「あれがほしい」「これもほしい」「思い通りにしたい」等の欲が絶えないからです。

その悩ましい世界が「此岸」、自分の判断基準で物事を裁かず、欲に囚われない心穏やかで争いごとのない世界が「彼岸」です。

お彼岸には、人間の愚かさ、人間の欲のなせる業に思いを致し、「彼岸」の境地と向き合うことが、仏教信仰と結びついた習慣として定着しました。

何が正しいかは定かでない。自分の考えが正しいとは言えない。いろいろな意見の真ん中に争いごとを避ける知恵と工夫がある。昼夜の長さが同じで、七日間の真ん中に当たるお中日を「お彼岸」としたことに、古代日本人の心の奥深さが感じられます。

半年に一回巡ってくるお彼岸の度に、過去半年間の自分の言動を顧み、争いごとの原因を熟考する機会にできればいいですね。人間だけではありません。世界の国々もそういう姿勢で外交に臨めば、争いごとが少なくなるでしょう。

「世界」のみならず、文中に出てきた「人間」も「知恵」も仏教用語。いやはや、日本語は仏教用語のオンパレード。来月は「人間」についてお伝えします。合掌。