【第238号】尾張多々見と尾張大隅

ゴールデンウィークが待ち遠しい季節になりましたが、寒暖の差が激しい日もあります。ご自愛ください。

「尾張名古屋・歴史街道を行くー社寺・城郭・尾張藩幕末史―をお送している今年のかわら版。今月は尾張多々見と尾張大隅です。

尾張多々見と尾張大隅

三~四世紀頃の尾張氏の支配領域は、尾張北東部から東部の丘陵地域であったようです。五~六世紀頃になると、西部、南部を含めた尾張全域に勢力を拡大します。

飛鳥時代の七世紀初め頃、尾張多々見(美)が年魚市(あゆち)の評監に任じられました。評とは行政組織の呼称です。

評が設置され、評監がいたということは、年魚市と呼ばれる地域が朝廷による管理と徴税が行われた豊かな場所であったことの証です。尾張氏は年魚市も支配地に組み込み、さらに知多半島にも勢力を伸ばします。

年魚市は「吾湯市」「愛智」とも書き、「愛知」のもととなった入江の地名を表します。尾張南部の台地群の先に形成された干潟地帯です。

台地群の先端には熱田がありました。それより南が干潟であり、干潟の中には松巨島(まつこしま)と呼ばれる島が形成されました。笠寺台地であり、その周辺一帯が年魚市です。

「あゆち」の「あゆ」は「湧き出る」の意味があり、湧水が豊富なことが地名の由来と考えられます。旅支度をする場所という意味の「足結(あゆ)道(ち)」から派生したとする説もあります。「あゆ」という音が先で、やがて「吾湯」「年魚」と転じ、当て字として「鮎」と書かれたようです。

尾張多々見の息子である尾張大隅は、六七二年の壬申の乱の際、大海人皇子(のちの天武天皇)に助力しました。

続日本紀によれば、大海人皇子が吉野宮を脱して鈴鹿関の東、つまりおそらくは尾張に入った際、尾治大隅が館と軍資金を提供しました。

その功により、六八四年、尾張氏に熱田宿禰(すくね)の姓(かばね)が与えられ、六九六年には尾張宿禰大隅に直広肆の位と水田四十町、七一六(霊亀二)年にも大隅の子尾張稲置も父の功によって田を授かったと記されています。

氏姓(うじかばね)制度

ここで氏姓制度について整理しておきます。尾張氏の姓は当初は連(むらじ)でしたが、上述のように宿禰を授けられました。

氏姓制度は大和王権の身分や職位を表します。氏も姓も現代では名字の意味で理解されていますが、大和王権の氏姓は異なります。

古代において、中央貴族、地方豪族が、血統や大和王権に対する貢献度に応じて朝廷より氏と姓を授与され、その特権的地位を表した制度です。氏は血族の名称である一方、姓は大王から与えられた称号です。氏姓は世襲していきます。

   
氏は巨勢、蘇我、葛城など地名に由来するものと、物部、大友、土師など職能に由来するものに分かれます。尾張は畿内の地名に由来しますが、尾張氏が東海に移り住んだことで尾張の地名になりました。

氏を持つ豪族は田荘(たそう)つまり土地を所有し、耕作民である部曲(かきべ)や奴婢(やつこ)を有していました。

姓は、大王家に近い立場にある臣(おみ)、大王家に仕える立場にある連(むらじ)、その下で各部司を管轄する伴造(とものみやつこ)、さらにその下になる百八十部(ももあまりやそのとも)、地方豪族を指す国造(くにのみやつこ)、より狭い地理的範囲での族長である県主(あがたぬし)など、重層的かつ多岐多様にわたります。また、時代とともに変遷しました。

八色(やくさ)の姓

古代氏姓制度は、六八四年に八色の姓が制定されたことで体系化されます。その目的は上位の四姓、つまり真人、朝臣、宿禰、忌寸の一族を定めることであり、この時に尾張氏に宿禰が授けられました。

大王家に近い一族に、最高位の姓である真人(まひと)を与えました。二十六代継体天皇から数えて五世以内の皇親氏族が対象です。

その次は朝臣(あそん)であり、大伴、物部、石上、中臣などの畿内大豪族に授けられました。第三位が宿禰(すくね)、第四位が忌寸(いみき)です。以下、道師(みちのし)、臣、連、稲置の八種類の姓です。

連姓だった尾張大隅に宿禰が授けられたことで、尾張氏の大和王権における立場はより強くなりました。

九世紀の摂関政治時代に入ると、藤原朝臣が勢力を増しました。また、諸皇子に氏姓を授ける臣籍降下が盛んに行われ、桓武天皇から平朝臣、清和天皇から源朝臣が誕生しました。

多くの氏族が朝臣姓を欲したため、朝臣姓を名乗る豪族や武士が増えました。

尾張氏も藤原氏から養子を迎えたり、藤原氏の娘を娶って、藤原朝臣を名乗るようになります。

つまり、天孫族の尾張氏は連、宿禰と変遷し、さらに藤原朝臣を名乗っていました。

尾張国府

このように大王家を頂点とする朝廷と地方の関係が氏姓制度をもとに確立してくると、各地方に国府が置かれるようになります。尾張国府は今の稲沢に置かれました。

来月は尾張国府についてです。乞ご期待。