【第224号】西尾市の旧市街

皆さん、こんにちは。春が待ち遠しい季節になりましたが、まだまだ寒い日が続きます。新型コロナウイルス感染症も含め、くれぐれもご自愛ください。

昨年からお伝えしている 三河新四国八十八ヶ所霊場。今月は西尾市の旧市街に入ります。

足利宗家と吉良荘

六十九番に向かう前に、この地域の歴史を散策しましょう。

古代においては熊来郷と呼ばれていたこの地域。十六世紀頃に西尾という地名が文献に登場します。

この地域は豊かであったことから、平安時代に吉良荘という荘園が置かれます。江戸時代の赤穂浪士事件に登場する吉良上野介(吉良義央)の領地は当地です。

吉良姓は吉良荘に由来します。歴史は常に偏った伝わり方をします。赤穂浪士事件でイメージが固定化している吉良上野介は地元では名君として語り継がれています。

赤穂浪士事件から遡ること約五百年、鎌倉時代には矢作川の両岸は西条と東条と呼ばれ、足利宗家三代の足利義氏が西条城と東条城を築き、庶子である長氏と義継吉良姓を名乗らせて城主に任じたことから吉良氏が発祥しました。

吉良氏はやがて駿河守護今川義元の配下になりましたが、桶狭間の戦いで義元が没すると、岡崎城の松平元康(のちの徳川家康)から攻められ、元康家臣の酒井正親が西条城を奪い、西尾城と改称しました。

酒井正親は、元康家臣団の中で初めて城主に任命された武将です。

西尾城は「鶴城」「鶴ヶ城」「錦丘城など、多くの別名を持つ名城です。

江戸時代には西尾藩となり、藩主は初代の本多氏から、松平氏、太田氏、井伊氏、増山氏、土井氏、三浦氏、松平氏と移り変わり、三浦氏の時代に建てられたのが勝山寺です。

西尾城主念持仏

六十七・六十八番から名鉄蒲郡線を越えて北上。やがて名鉄西尾線も横切りながら北に進むこと約十六キロメートル。西尾市旧市街に入り、西尾駅の西側の住宅や商店が立ち並ぶ中にあるのが六十九番、泰涼山勝山寺。真言宗醍醐派のお寺です。

西尾城下にある勝山寺。一七四八年、当時の西尾城主は三浦義理番。

所替え(幕府の命令による言わば転勤)の夢を見て、この地に残りたいと思った義理が鬼門除けのために城下に建てたのが始まりです。

江戸幕府は大名の勢力を削ぐために、頻繁に所替えを命じました。所替えに翻弄された当時の大名心理が垣間見える勝山寺の縁起です。

七年後の一七五五年、現在地に移築されたそうです。代々の西尾城主が念持仏として信仰した不動明王がご本尊になっています。

七十番は本堂左奥の明王殿です。石仏が並ぶ参道を巡るとお砂踏みができます。

ご本尊(六十九番)不動明王

ご本尊(七十番)弘法大師

ご詠歌 身の中の 悪しき非行を打ちすてて みな勝山を 望み祈れよ

釈迦涅槃絵図

十三・六十四番から集落を海の方に進み、東幡豆駅を超えて海岸に向かうこと約七百メートル。六十五番は性海山妙善寺。三河新四国の名物札所のひとつで、浄土宗西山深草派のお寺です。別名「幡豆観音」。

天平年間(八世紀半ば)に行基が開基したと伝わる古刹。行基は東大寺の勧進聖。大仏建立の寄進を全国に募る責任者でしたから、海山の幸に恵まれた豊かな当地に逗留したことは想像できます。

天文年間(十六世紀半ば)に利春僧都が西林寺として再興。その後、寛政年間(十八世紀末)に梅翁恵秀上人が妙善寺と改称したそうです。

境内には、岩石で極楽浄土を表した回遊庭園「開八圓」や徳川家康が戦で傷を負った際に命をつないだ「延命水」などがあります。

脇仏の十一面観音は中風を治すご利益があると伝わることから、当寺は別名「中風除け寺」。毎年一月十八日の中風除け大根炊きは有名です。

寺院と地域の振興のために一九九〇年から始まったかぼちゃ(南瓜)サミット。かぼちゃは南北米大陸が原産地ですが、幡豆は伝来の地と言われています。おそらく、海に流れ着いたのでしょう。毎年秋には全国から多数のかぼちゃが当寺に送られてきて、品評会が行われます。そのため、「かぼちゃ寺」としても親しまれています。

いろいろな別名のある妙善寺。六十六番は観音殿(幡豆観音)」です。

ご本尊(六十五番)阿弥陀如来

ご本尊(六十六番)十一面観音

ご詠歌 上州の 山よりいでて 観世音 磯うつ波に 光かがやく

三ヶ根観音

六十九・七十番から旧市街を約五百メートル西に進むと七十一番、梅香山縁心寺。浄土宗のお寺です。

一六〇二年、初代西尾藩主の本多康俊が、実父であり徳川家康の重臣であった酒井忠次追善のために建立しました。寺号は実父の戒名(高月縁心大居士)に因んで縁心寺となりました。

一六一七年、康俊は近江膳所藩初代藩主として所替えになり、寺も近江に移りました。

しかし、四年後の一六二一年、康俊が逝去。康俊を慕う当地の人々が、供養のために現在地に同名の寺を建立。康俊の戒名(梅香院殿英誉輝厳縁崇大居士)に因んで、院号は梅香院もそのひとつ。

六十八番も別堂のひとつ。境内から三ヶ根山の方向に約百五十メートル先にある粟嶋堂となりました。

一八六九年、地元絵師によって描かれた巨大な釈迦涅槃絵図、地獄大絵図が本堂内に奉じられているほか、内陣には阿弥陀如来、びんずる尊者、境内には青銅の大地蔵尊 が奉安されています。

七十二番は、本堂内の輝巌殿。浄土宗のお寺であり、法然上人 の三河二十五霊場十四番札所でもあるため、弘法大師像は本堂内の右隅にひっそりと奉安されています。

ご本尊(七十一番)阿弥陀如来

ご本尊(七十二番)弘法大師

ご詠歌 名にしおう 実りの里に この花を 香れる山の 奥ぞゆかしき

大浜寺町の碧南へ

来月は碧南市に入ります。律令時代の碧海郡の南部地域であったことから碧南という地名がつきました。

古くは大浜郷と呼ばれ、衣浦湾に面して大浜湊を擁した海上交通の要衝として栄えました。衣浦湾、知多湾の対岸は、知多四国の半田市と武豊町です。

寺院が密集する大浜は大浜寺町と呼ばれています。乞ご期待。