【第223号】旧幡豆郡東幡豆町(西尾市)の札所

あけましておめでとうございます。弘法さんかわら版、今年もご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

昨年からお伝えしている 三河新四国八十八ヶ所霊場。昨年末に蒲郡の札所までを巡りました。今年は西尾市、旧幡豆郡東幡豆町の札所からスタートです。

三河の小京都、西尾へ

二〇一一年に旧幡豆町、旧一色町、旧吉良町を合併した西尾市は抹茶の産地、三河の小京都として知られていました。

平安時代には吉良荘が置かれ、その後は足利氏、吉良氏、今川氏、松平氏などの武士勢力が攻防を繰り広げた要衝です。

三河最古の塩田を擁し、西尾の塩は足助街道や三州街道で遠く信州塩尻宿まで運ばれていました。

朝姫の千手観音

六十一・六十二番から左手に時々三河湾を眺めながら西進すること約五キロメートル、六十三番は中尾山千手院。真言宗醍醐派のお寺です。

開創は一四四六年。寺伝よれば、ご本尊の千手観音は紀伊の国ゆかりの仏像です。

郷主中尾金重、が幡豆の海に漕ぎ出た際に、眼前に現れた光り輝く千手観音を抱く貴人から「この地に千手観音を祀って守護せよ」と告げられました。

ちょうどその頃、幡豆海岸に漂着した紀伊若松城主の三女朝姫が護持していたのが千手観音。中尾金重は朝姫の千手観音を授かり、祀ったと伝わります。

その朝姫が榊原坊甚光尼と改名して小庵を結び、千手院真言宗精舎を開創したのが当寺の始まりです。

境その後廃絶しましたが、一九二七年に西浦覚念法印が中興し、今日に至っています。

六十四番は境内西奥にある不動堂です。

ご本尊(六十三番)千手観音

ご本尊(六十四番)地蔵菩薩 不動尊

ご詠歌 ありがたや 千手の光 ありければ おのが願いも かのうなりけり

かぼちゃ寺

十三・六十四番から集落を海の方に進み、東幡豆駅を超えて海岸に向かうこと約七百メートル。六十五番は性海山妙善寺。三河新四国の名物札所のひとつで、浄土宗西山深草派のお寺です。別名「幡豆観音」。

天平年間(八世紀半ば)に行基が開基したと伝わる古刹。行基は東大寺の勧進聖。大仏建立の寄進を全国に募る責任者でしたから、海山の幸に恵まれた豊かな当地に逗留したことは想像できます。

天文年間(十六世紀半ば)に利春僧都が西林寺として再興。その後、寛政年間(十八世紀末)に梅翁恵秀上人が妙善寺と改称したそうです。

境内には、岩石で極楽浄土を表した回遊庭園「開八圓」や徳川家康が戦で傷を負った際に命をつないだ「延命水」などがあります。

脇仏の十一面観音は中風を治すご利益があると伝わることから、当寺は別名「中風除け寺」。毎年一月十八日の中風除け大根炊きは有名です。

寺院と地域の振興のために一九九〇年から始まったかぼちゃ(南瓜)サミット。かぼちゃは南北米大陸が原産地ですが、幡豆は伝来の地と言われています。おそらく、海に流れ着いたのでしょう。毎年秋には全国から多数のかぼちゃが当寺に送られてきて、品評会が行われます。そのため、「かぼちゃ寺」としても親しまれています。

いろいろな別名のある妙善寺。六十六番は観音殿(幡豆観音)」です。

ご本尊(六十五番)阿弥陀如来

ご本尊(六十六番)十一面観音

ご詠歌 上州の 山よりいでて 観世音 磯うつ波に 光かがやく

三ヶ根観音

六十五・六十六番からさらに西進すること約三キロメートル。西幡豆駅手前を左折して海に向かう途中にあるのが六十七番、薬王山太山寺。真言宗醍醐派のお寺です。

開創は七二四年の古刹。やはり、行基の開創と伝わります。

その後、在郷の領主、小笠原摂津守が城の鬼門除けに当寺に祈願所を建立。向かい側の山には城跡が残っているそうです。

太山寺は古(いにしえ)より多数の飛び地、別堂を有しています。そのため、別堂のお守りが大変ですが、三ヶ根山頂の観音堂もそのひとつ。

六十八番も別堂のひとつ。境内から三ヶ根山の方向に約百五十メートル先にある粟嶋堂が六十八番です。

三ヶ根山は三河湾国定公園にある標高三二一メートルの山。西尾市、蒲郡市、幸田町の境にあります。意外に知られていませんが、東京裁判でA級戦犯になって処刑された七人の墓所があります。

ご本尊(六十七番)薬師如来

ご本尊(六十八番)粟嶋尊天

ご詠歌 白波に うかぶ小船も 帆をさげて 薬師の利益 受けによるらん

吉良荘と西尾城

旧幡豆郡から西尾市の旧市街に向かいます。吉良荘と西尾城の歴史を探訪した後、旧市街の二つの札所を回ります。乞ご期待。