【第222号】三河新四国八十八ヶ所霊場12

皆さん、こんにちは。いよいよ師走。今年もあとわずか。寒さが厳しくなりますので、くれぐれもご自愛ください。

今年のかわら版は 三河新四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。さて、今月は形原温泉から西浦温泉に向かいます。

形原城ゆかりの利生院

五十五・五十六番から集落の中を西に進むこと約一キロメートル、名鉄蒲郡線を越えると五十七番、上野山利生院。浄土宗西山深草派のお寺です。

五十三番真如寺、五十五番実相院と同様、利生院も形原城と因縁の深いお寺です。

形原城は江戸時代初期に当地に置かれた形原藩の居城。一五六〇年、桶狭間の戦いの後に形原松平氏は今川氏から離れて松平宗家に従いました。

これに怒った今川氏真が人質にとっていた形原城主松平家広の妻子を城から見下ろせる稲生浜で処刑するという悲しい出来事もありました。

一五七四年、当寺を建立したのは形原城主松平家忠。開山者の智巌法印は家老松平藤兵衛の次男であり、城主の祈願所として開創されました。

一五九〇年、城主松平家信は家康の関東移封に従い、形原を離れて関東上総国五井(現在の千葉県市原市)に移ったものの、関ヶ原の戦い後の一六〇一年に形原に戻りました。

一六一九年、家信は丹波篠山、摂津高槻城に移封となって形原を再び離れることとなり、形原城も廃城。本丸のあった丘の峰には、地元の稲荷大社が建てられました。

その際、城の守護仏聖観世音菩薩が当寺に移されました。このほかにも、当寺には形原城ゆかりの遺物や逸話がたくさん伝わります。

境内は高台にあり、城跡の小高い丘と海が南に百五十メートルの位置に見えます。

五十八番は本堂西側にある観音堂です。

ご本尊(五十七番)阿弥陀如来

ご本尊(五十八番)聖観世音菩薩

ご詠歌 ただたのめ たのむこころの まことより ほとけのりしょう ありがたのはら

西浦温泉と覚性院

五十七番・五十八番から海を左手に眺めながら南下すること約二キロメートル、西浦駅から南に百メートルの住宅街の中にあるのが五十九番、神田山覚性院。浄土宗西山深草派のお寺です。

五十一・五十二番から約七キロメートル進むと五十三番、海性山真如寺。浄土宗西山深草派のお寺です。

西浦温泉は三河湾に突き出た西浦半島一帯に湧出。かつては東海の熱海の異名を持ちました。

西浦半島一帯は古くは万葉の地として歌垣にも選ばれていますが、温泉の歴史は新しく一九五三年の開湯。二〇〇六年に西浦温泉開湯五十周年を記念して、西浦温泉の温泉街の各所に七福神像が置かれました。

覚性院は一六五〇年の開創。当初は西浦半島寄りの知柄地区にありましたが、一九〇五年、念仏観逸上人によって現在地に移されたそうです。寺号は法楽寺。

六十番は本堂内左側にある法楽殿です。

ご本尊(五十九番)阿弥陀如来

ご本尊(六十番)善光寺如来 薬師如来

ご詠歌 みひかりや 西浦さとに かがやきて 朝な夕なに 法楽の声

癌封じ寺の無量寿寺

五十九・六十番から名鉄西浦駅を越えて北に約二百メートル進むと、六十一番、西浦山無量寺。真言宗醍醐派のお寺です。

九五一年開創の古刹。西浦不動、癌封じ寺の名で知られるお寺です。

境内に中国の敦煌・洛陽や蘭洲の石窟寺院をモデルにした珍しい「千仏洞めぐり」があります。

この洞窟めぐりは、ほの暗い通路の壁面に千体の石仏を配置し、洞窟の奥にはガンダーラの仏や大きな大日如来座像が安置されています。

天然記念物に指定されているお大師様お手植えの大楠の横には、朱塗りの癌封じ堂があり、平癒祈願の絵馬がたくさん奉納されています。

参道には身代わり滝不動。また日本大雁塔は玄奘三蔵ゆかりの中国西安の大雁塔を三分の一に復元。高さ二十メートルです。

松山孝昌住職は現在の三河新四国の復興発願者です。

六十二番は境内西側にある観音堂。

ご本尊(六十一番)不動明王

ご本尊(六十二番)聖観世音

ご詠歌 厄除けと ガン病封じの ぐわんなれば 不動たのもし 西浦の里

三河の小京都、西尾へ

二〇一一年に旧幡豆町、旧一色町、旧吉良町を合併した西尾市は抹茶の産地、三河の小京都として知られています。

平安時代には吉良荘が置かれ、その後は足利氏、吉良氏、今川氏、松平氏などの武士勢力が攻防を繰り広げた要衝です。

来年一月は西尾市に入ります。それでは皆さん、良い年をお迎えください。