【第215号】三河新四国八十八ヶ所霊場5

皆さん、こんにちは。国の緊急事態宣言が解除されましたが、新型コロナウィルス感染症の再拡大に留意しながらの日常です。何かとご不自由なことと思います。お見舞い申し上げます。かわら版が、少しでも皆さんの気晴らしになれば幸いです。

     
今年のかわら版は 三河新四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。少しでも皆さんの気晴らしになれば幸いです。さて、今月は三河新四国の最北端、猿投に向かいます。

万人地蔵大菩薩の薬師寺

九・十番札所から飯田街道(国道一五三号)を北上すること約八キロメートル、名鉄三河線越戸駅のそばに十一番札所、瑠璃光山薬師寺があります。浄土宗のお寺です。

一七五一年(宝暦元年)、尼僧念仏道場として開創したと伝わります。

昭和四十一年十二月十五日、近くの越戸保育園前で居眠り運転のダンプカーによる交通事故が発生。園児・保母さん十一名が亡くなるという痛ましい事故でした。

脇仏の万人地蔵大菩薩は、犠牲者を弔うために一般の方々に、ひとのみずつ削っていただいて奉安されたものです。

十二番札所はそのお地蔵様を祀る瑠璃殿です。合掌。

ご本尊(十一番)薬師瑠璃光如来

ご本尊(十二番)万人地蔵大菩薩

ごご詠歌 よしみずの 流れも清き やくしでら 大師はいつも ここにまします

聖観音と馬頭観音

十一・十二番札所から飯田街道沿いに約五百メートル進むと、十三番札所の身掛山観音院 。真言宗醍醐派のお寺です。

開創は一六六五年(寛文五年)。飯田街道に面する境内には、本堂を挟んで右に聖観音、左に馬頭観音の石仏が並び、凛とした気が漂います。十四番札所はその馬頭観音を祀る馬頭殿です。

ご住職自ら仏画を描き、四季の草花を描いた堂内の天井画も見事。

お正月の本四国お砂踏み法要は巡拝客で賑わいます。

ご本尊(十三番)聖観世音菩薩

ご本尊(十四番)馬頭観音

ご詠歌 このきしは 越戸の里の みかけやま 大師のおしえ 結ぶうれしさ

勘八峡から香嵐渓へ抜ける石野

十三・十四番からさらに飯田街道を北上、越戸ダムや勘八峡を横目に猿投グリーンロードの力石インターチェンジの交差点を過ぎ、足助・香嵐渓方面に向かう途中の石野に十五番札所、金重山廣昌院 があります。浄土宗のお寺です。十八番は境内にある金重殿です。

開創は一四七九年(文明十一年)。当初は極楽山浄土院と言われたそうですが、一四八八年(長享二年)に現在の山号院号に改称されたそうです。

飯田街道を挟んだ反対側には、廣昌院よりも古い一二六四年(文永元年)開創の楽命山如意寺(真宗大谷派)があり、山門・本堂・書院・鐘楼・大鼓楼とも見事。

勘八峡から香嵐渓に抜ける山深い街道沿いに廣昌院や如意寺が林立する風景は、かつて石野が宿場町のように栄えていた証と言えます。

ご本尊(十五番)阿弥陀如来

ご本尊(十六番)弘法大師

ご詠歌 勘八を すぎし土陰に うつせみの まぬけはてたる ここぞすずしき

旧三河新四国奥の院の東昌寺

十五・十六番から香嵐渓に向かいたいところですが、残念ながらUターン。南下して猿投グリーンロードに入ります。中山インターを降りて北上、猿投神社の大鳥居の右奥を進むと、三河新国の最北端、十七番、大悲殿東昌寺があります。曹洞宗のお寺です。

猿投の地名は日本書紀 に登場します。曰く、第十二代景行天皇に東征を命じられた大碓命が猿投山中で逝去。景行年間は紀元前後と推定されます。

そして、 猿投神社は第十四代仲哀天皇元年に勅願により創建されました。

東昌寺の前身は猿投神社の神宮寺である 白鳳寺 。猿投山内にあり、 一四三四年(永享六年) には 七ヶ寺三十六坊と隆盛を極めたと記される古刹。秀吉や家康にも庇護されたものの、明治維新の廃仏毀釈で廃寺。

一九一八年(大正七年)に岡島魯宗禅師が神社の鬼門除け観音像を本尊として一ヶ寺を復興。一九三二年(昭和七年)に東昌寺として再興したと伝わります。東昌寺の境内や山中には、前身時代の相当古い石仏が散在します。

旧三河新四国の奥の院とも伝わり、十八番は本堂南にある大師堂です。

猿投山中であり、春秋の桜や紅葉の美しさが想像できます。

ご本尊(十七番)千手千眼観世音

ご本尊(十八番)釈迦如来・阿弥陀仏・弘法大師・千手観音

ご詠歌 春は花 あきはもみじの猿投山 まさしくここぞ のりのともしび

徳川家菩提寺の大樹寺

来月は再び南下。豊田市の最後の札所、十九番雲龍寺 を経て岡崎市に入り、徳川家菩提寺の大樹寺に向かいます。岡崎市内は名刹揃いです。乞ご期待。