【第214号】三河新四国八十八ヶ所霊場4

皆さん、こんにちは。感染症対策の影響でせっかくの春も気うつですが、ご自宅での気晴らしにかわら版を読んでいただければ幸いです。くれぐれもご自愛ください。

     
今年のかわら版は 三河新四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。さて、今月は知立市から豊田市に向かいます。

かきつばた祭りの無量壽寺

三番札所から国道一号線を約十二キロメートル東進。刈谷市から再び知立市に入ると、四番札所は八橋山無量壽寺。臨済宗のお寺です。

開創は七〇四年(慶雲元年)ですから、お大師様が当地にご逗留した時より百年以上も前からの古刹です。

平安時代の歌聖、在原業平が当地で歌を詠んで以来、古来名勝地として知られてきました。

江戸時代には、筑前の僧、売茶方農和尚が在原業平を慕って当寺に住み、業平旧蹟の再興を願って全国を行脚。当寺の名を各地に広めたと言われています。

毎年五月にはかきつばた祭りが催され、参詣客がたくさん訪れます。

ご本尊 聖観世音菩薩

ご詠歌 古きより かきつの里の無量壽寺 大師の慈悲に 人ぞ寄るなり

枝垂れ桜の龍興寺

四番札所から県道十二号線を北上すること約九キロメートル。豊田市に入って最初に向かうのは五番札所、鈴木山龍興寺 。臨済宗のお寺です。

その昔、紀州の鈴木七郎左衛門穣重延という人が奥州へ向かう道中、脚を患って当地に定住。その後、先祖や主従の菩提を弔うために草庵を立てたのが当寺の始まりと伝わります。

一五五六年(弘治二年)、熱田からやってきた南溟和尚 が再興し、臨済宗に改宗。

広い石段と白の塗壁の上に建つ山門、春に咲く枝垂れ桜は見事です。

境内にある 黄檗殿が 六番札所です。

ご本尊(五番)聖観世音菩薩

ご本尊(六番)薬師如来

ご詠歌 石段を のぼる門に松風の ひらけるあしたに 龍興寺の鐘

日本三庚申の金谷寺

五・六番札所から約十キロメートル北上し、トヨタ自動車本社工場を横目に愛知環状鉄道沿いに進んで豊田市内に入ります。名鉄三河線の上拳母駅南側の旧市街の中にあるのが、七番札所の金谷閣三光寺 。真言宗醍醐派のお寺です。

寺の縁起は、碧海郡から移された庚申堂を基に一六〇三年(慶長八年)に秋応法印が開基したとか、あるいは一六〇〇年(慶長五年)に金谷村の近藤何某が堂宇を建立したとも言われます。

その後、一六六二年(寛文二年)、挙母城主三宅能登守勝が本堂や山門を再建したと伝わります。

ご本尊はお大師様作の庚申尊(青面金剛王童子) 。日本三庚申のひとつとも言われ、春の初庚申大祭は参拝客で賑わいます。

ちなみに庚申信仰 とは、庚申(かのえさる)の夜に人の体内にいる三尸(さんし)の虫が良くないことをするのを防ぐために不眠行を行う道教の慣習が仏教等と結びついたものです。

八番札所 は本堂左にある護摩堂です。

ご本尊(七番) 庚申尊(青面金剛王導士)

ご本尊(八番) 弘法大師・不動明王・薬師如来

ご詠歌 明けらく後の 佛の御世までも 光り伝へよ みひかり(三光)の寺

久蔵地蔵の光明寺

七・八番札所から南下すること約五百メートル、九番札所は遍照山光明寺。浄土宗のお寺です。

開創は一五七一年(元亀二年) 。挙母城主の與語久兵衛が、前年の姉川の戦い(織田信長と浅井長政・朝倉義景の戦い)に参戦。戦死した一六歳の甥、坂井久蔵の供養のために地蔵菩薩(久蔵地蔵)を彫り、阿弥陀如来を安置して念仏道場を作ったのが始まり。

開基はその與語久兵衛と矢作川の川湊を管理していた 與語久三郎。ふたりは兄弟あるいは親子と伝わります。

一六四三年(寛永二十年) 、 教誉但順大徳 、が再興しました。

十番札所は境内にある直心堂 です。

ご本尊(九番)阿弥陀如来

ご本尊(十番)久蔵地蔵菩薩

ご詠歌 みほとけの 慈悲の光明(みひかり) くまもなく 挙母の里に 照りわたるかな

三河新四国最北端の東昌寺

光明寺から国道二四八号、一五三号を矢作川沿いに北上し、飯田街道 を進んで次の札所に向かいます。

その後は旧猿投町 に入り、三河新四国の最北端、猿投神社の奥にある東昌寺を目指します。乞ご期待。