【第213号】三河新四国八十八ヶ所霊場3

皆さん、こんにちは。いよいよ春本番。とはいえ、朝晩は冷え込みます。くれぐれもご自愛ください。

     
今年のかわら版は 三河新四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。さて、今月から紙上遍路に出発。まずは開創霊場をお訪ねし、三河三弘法からスタートです。

見返弘法大師の遍照院

知立駅あるいは三河知立駅から徒歩十五分、弘法通りを進むと左側に弘法山遍照院の山門があります。

お寺には山号・院号・寺号がありますが、ここ遍照院は院号で親しまれ、三河新四国の開創霊場として知られています。真言宗豊山派のお寺です。

八二二年(弘仁十三年) 、お大師様が関東方面に巡錫する途中、当地に約一ヶ月逗留。

修行場として当寺を開創し、旅立ちの際に庭の赤目樫の木でご自身の坐像を三体刻まれました。

三体のうち、最も根本に近いところの木で刻まれた坐像が当寺のご本尊。

別れを惜しんでやや右を向いて振り返っているお姿から、見返弘法大師と呼ばれています。

残りの二体は、二番札所(西福寺)と三番札所(密蔵院)に祀られています。

お大師様自ら建立した名刹として千二百年の法燈を継承。旧暦二十一日の月命日には「弘法さん」の縁日が立ちます。

ご本尊 見返弘法大師

ご詠歌 さらぬだに 竜華の春の 遠ければ 見返り給ふ 慈悲ぞ 深けれ

流汗不動明王の総持寺

遍照院から北上し、名鉄線を越えて約三キロメートル。一番札所は神路山総持寺 、天台寺門宗のお寺です

先月号で一寺院二札所が三河新四国の特徴とお伝えしましたが、一番札所から四番札所までは一寺院一札所です。

八五〇年(嘉祥三年) 、慈覚大師 が開山。ご本尊の流汗不動明王は、お大師様が当地ご逗留の際に刻まれました。

衆生(人々)の願いを叶えるべく、汗を流して霊験に努め、いつしか流汗不動明王と呼ばれるようになったご本尊。お顔は黒光りし、お腹には三筋の流れる汗が見えるそうです。

唐風とも思える山門前を通るのは旧東海道。かつては知立神社の別当寺でした。

ご本尊 流汗不動明王

ご詠歌 総て持て 仏の慈悲の深ければ此の世 後の世 願う心を

見送弘法大師の西福寺

一番札所から西へ約一・五キロメートル、二番札所は大仙山西福寺 。曹洞宗のお寺です。この辺りは知立市と刈谷市が入り組んでおり、西福寺は刈谷市です。

元々は大仙山雲涼院と瑞雲山西福寺というふたつのお寺。約四百年前の戦火で焼失。両寺を引き継いで再建されました。

当山に安置されている見送弘法大師は、お大師様当地ご逗留の際に刻んだ三像のひとつ。したがって、当寺は三河三弘法の二番札所です。

境内から約百メートル離れた奥の院には大師井 があります。干ばつに苦しむ当地を救うために、お大師様が錫杖で掘り当てた清水と伝わります。

ご本尊 阿弥陀如来

ご詠歌 わけ登る 花の嵐の梢より 一ツ木山に 月ぞかがやく

流涕弘法大師の密蔵院

二番札所から北東に約一キロメートル、三番札所は天日山密蔵院。臨済宗のお寺です。密蔵院も刈谷市です。

創建は八二二年(弘仁十三年) 、開創霊場遍照院と同じです。

ご本尊の 流涕(りゅうてい)弘法大師はお大師様が彫った三像のひとつ。当寺は三河三弘法の三番札所です。

二番札所と同様に、水不足で苦しむ衆生(人々)を救うためにお大師様がお加持を行い、冷水を湧き出させたと言い伝えられます。

人々が感謝して感涙したという意味でしょうか。流涕弘法大師の「涕」は「なみだ」や「水」を表す漢字のようです。

一七一四年(正徳四年) 、 木瞼禅師によって改宗、中興されて今日に至っているそうです。

ご本尊 流涕弘法大師

ご詠歌 あいきやうの 誓いを頼む いちりやま かみのかげある 寺に詣りて

日本三庚申

さて、来月は知立に戻って四番札所の無量壽寺を巡拝した後、北上して豊田市の霊場を巡ります。日本三庚申 のひとつを祀る三光寺(七番札所)も参拝します。乞ご期待。