【第204号】実録・覚王山日泰寺縁起6

皆さん、こんにちは。梅雨の季節です。腰痛や神経痛が気になりますね。くれぐれもご自愛ください。
今年は 実録覚王山日泰寺縁起をお伝えしているかわら版。世界的に本物と認められている仏舎利(お釈迦さまのご真骨)がなぜ日泰寺に祀られたのか。その歴史を探訪しています。

ワット・サケット

大谷光演(句仏上人)正使とする日本からの仏舎利奉迎使節団がバンコクに到着したのは、一九〇〇年(明治三十三年)六月十一日夕刻。

十二日と十三日、奉迎使節団は旅装を解き、バンコク市内を見学するとともに、 チュラロンコン国王に拝謁する準備を進めました。
記録には、タイ文科省の役人ルアングバイサルの案内でワット・ボヴォニベーという寺院を見学したと記されています。
使節団の興味を引いたのは、境内に設置されているパーリ語の語学学校。タイで僧になるにはパーリ語の学習が必須と聞かされました。
インドで生まれた仏教。シルクロードを経由して中国に伝わった仏典はサンスクリット語、スリランカ、インド洋を経由して東南アジアに伝わった仏典はパーリ語、で書かれていました。前者は北伝仏教、後者は南伝仏教です。
仏典を原語で読むことを推奨するタイの仏教教育の熱心さに驚いたそうです。
日本に伝わったのは北伝仏教。サンスクリット語からシルクロードの言葉に訳され、さらに中国語に訳されて日本に伝わりました。使節団はサンスクリット語で仏典を読むことの必要性を感じたのかもしれませんね。

十四日、再び文科省の役人の案内で古刹ワット・スドゥースに続いて、高名な ワット・サケット訪問。
ワット・サケットは建物だけでも六百三十棟を擁する大寺院。高さ三十メートル、周囲二百七十メートルで、ゴールデンヒル(黄金の丘)と呼ばれる高さ五十メートルの丘の上にあります。その最も高台にある仏塔に、前年、インド(英国政府)から寄贈された仏舎利が奉安されていました。

ワット・ポー

ワット・サケット見学中に、急遽、チュラロンコン国王 からお召しがあり、稲垣満次郎 駐タイ公使と大谷光演正使ほか一行は宮殿に参内。
国王から仏舎利分骨の示達があり、翌日、贈与の式典が行われることとなりました。

十五日、奉迎使節団は三度(みたび)文科省の役人の案内で今度は大寺ワット・アルンを見学。そして夕刻、いよいよ式典のために宮殿内の ワット・ポーに向かいました。

ワット・ポーは「菩提の寺」という意味。王室寺院であり、巨大な黄金の涅槃仏があることから「涅槃寺」とも呼ばれています。

ワット・ポーはバンコクで最大、最古の寺院。現在まで続くチャクリー王朝一七八二年に始まって以来、ワット・ポーは王族の庇護の下で発展してきました。

記録によれば、式典では王室勅使が式辞を読み、正使大谷光演師が答辞を朗読。 読経、三帰依文の黙誦三拝の後、王室勅使が奉迎正使に仏舎利の入った小黄金塔を授与。

大谷正使は小黄金塔を日本から持参した宝珠形仏塔の中に納め、さらに金襴の嚢に入れたうえで二重の桐箱に奉納。仏舎利授与の式典は無事に終了しました。

長崎晧台寺(こうたいじ)

六月十九日 、奉迎使節団は帰国の途につきます。そして、 七月十一日 に長崎に到着し、長崎三大寺のひとつ、晧台寺に奉安されます。来月は長崎上陸から京都奉安までの道中です。乞ご期待。