【第199号】実録・覚王山日泰寺縁起

皆さん、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

かわら版はまもなく200号を迎えます。節目の今年は実録・覚王山日泰寺縁起をお伝えします。お付き合いのほど、よろしくお願い致します。

「日本」と「タイ」で日泰寺

覚王山日泰寺の縁日には、県内各地からの参拝客に加え、県外や海外からも観光客が訪れます。

覚王山日泰寺の縁日は「弘法さん」と呼ばれて親しまれています。しかし、どうして「弘法さん」の縁日が立っているのでしょうか。名古屋弁的に表現すると「そりゃあ、おみゃ~さま、弘法さんがおるんでしょ、日泰寺の中に」と連想する方もいると思いますが、それは違います。

日泰寺本堂に祀られているご本尊は、タイ国王から寄贈された釈尊金銅仏です。正面にはプミポン国王(ラーマ九世、一九二七~二〇一六年)直筆の勅額が掲げられており、タイの文字で「釈迦牟尼仏」と記されています。

勅額の両側には、プミポン国王とチュラロンコン国王(ラーマ五世、一八六八~一九一〇年)のご紋章が輝いています。

ここまで書くと、お気づきのことと思います。日泰寺は「日本」と「タイ」で日泰寺です。なぜ名古屋のこの場所に「日本」と「タイ」で日泰寺というお寺が創建されたのか。今年のかわら版は、その歴史をお伝えしていきます。

一八九八年(明治三十一年)

お釈迦さまは今から約二五○○年前の人です。本名を ゴータマ・シッダールタといい、 シャークヤ(釈迦)国の王子として生まれました。

二十九歳の時に修業の旅に出て、三十五歳で覚りを開き、後世、お釈迦さまと呼ばれるようになりました。
仏教、キリスト教、イスラム教は世界三大宗教と言われますが、イエスは約二○○○年前の人、ムハンマドは約一四○○年前の人。お釈迦さまと仏教が一番古い時代です。

西洋では、イエスもムハンマドも実在の人物として扱われてきました。一方、お釈迦さまについては、つい百年ほど前まで実在の人物ではないと考えられていました。日本人やアジアの人々にとっては意外なことです。

ところが、今から百二十一年前の一八九八年(明治三十一年)インド北部、ネパールとの国境付近のピプラーワー 、という場所でお釈迦さまの遺骨(仏舎利)が発見されました。

日本を含むアジアの仏教国では、仏舎利が伝承されています。その信憑性は高くなく、中には石英やルビーといった鉱石や、人骨ではないものが祀られている場合もあります。

ところが、ピプラーワーで発見された仏舎利は西洋の歴史学、考古学、宗教学の分野でも、本物のお釈迦様の骨(ご真骨)であると認識され、この発見を契機にお釈迦さまは実在の人物であったと考えられるようになりました。

そして、そのご真骨が覚王山日泰寺に祀られているのです。「どえりゃ~ことだがや」と思われた人も多いと思いますが、そうです、「どえりゃ~こと」なのです。

今年のかわら版、覚王山日泰寺が創建され、ご真骨が祀られた経緯をお伝えします。題して、実録・覚王山日泰寺縁起です。

八大聖地

さて、来月は仏舎利が発見されたピプラーワーがどこにあったかをお伝えします。お釈迦さまの八大聖地のひとつ、ルンビニーの近くと言われています。乞ご期待。