【第193号】知多八十八ヶ所霊場19(今月は六十七番からです)

皆さん、こんにちは。梅雨の季節になりました。腰痛、神経痛が気になりますね。くれぐれもご自愛ください。
昨年から知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしているかわら版、今月は六十二番からです。

むねなで大師

六十一番を出て西進。集落や畑の中を進むこと約一・五キロメートル、六十二番は御嶽山洞雲寺。

かつて六十一番高讃寺は七堂伽藍を有した大寺院だったことは先月ご紹介しました。

一五三七年の兵火で堂宇伽藍は破壊・焼失し、仏像は難を逃れて池に沈められたり、田畑に埋められました。

その後、当地の御嶽池の中から阿弥陀如来像が発見され、それを祀ったのが当寺の始まりです。

昭和初期、重い胸の病にかかっていた鳴海の木村徳蔵さん。「我は六十二番の大師なり」と告げる僧に納経帳で胸をなでられる夢を見ました。

早速家族に代参を頼むと、たちまち快癒。この霊験に因んで「むねなで大師」として信仰を集めています。

ご本尊 阿弥陀如来

ご詠歌 東浦 日間賀しの島西浦 大師の垂水 あ利がたくうく

イブキの巨木

六十二番から北上すること約一・七キロメートル、奥条の集落の中にあるのは六十三番、補陀落山大善院。
やはりルーツは七堂伽藍三百坊を擁した六十一番高讃寺。

そのうちの一坊のご本尊、十一面観世音菩薩を当地に移したのが寺の始まりです。

常滑城初代城主・水野忠綱、その子息・興覚法印の庇護を受けて繁栄。常滑城の鬼門に当たることから、牛頭天王(素戔嗚尊=すさのおのみこと)を鎮守中の宮に奉祀。


境内を覆うイブキの巨木は樹齢五百五十年以上の常滑市天然記念物です。裏山は知多半島有数のヤブツバキの群生地です。

ご本尊 十一面観世音菩薩

ご詠歌 じゅうらくの 大善院に詣で来て 仏の利益 うくるうれしさ

癌封じ寺・いぼとり地蔵

六十三番から西に約○・七キロメートル、六十四番は世昌山宝全寺。

一五七三年創建と伝わりますが、その後の寺の縁起はあまり詳しくはわかりません。

境内には、三十三観音、十王堂、秋葉堂、三宝荒神堂、弘法堂、金毘羅堂、地蔵堂が建ち並び、村人に長く親しまれてきた鎮守。金毘羅堂の屋根には珍しい天狗の瓦が置かれています。

癌封じ寺・いぼとり地蔵として知られ、ご利益があると信仰されています。

ご本尊 十一面観世音菩薩

ご詠歌 宝積む 全き寺の 鐘の声 寂滅為楽と 響く入相

安阿弥作の延命地蔵大菩薩

六十四番からまた東に戻ること約一・○キロメートル、六十五番は神護山相持院。

開創は一五六○年。明治十一年に廃仏毀釈によって六十四番に統合されたものの、明治三十六年に復興。大正十年に寺号を元に戻し、現在地へ。

開創時のご本尊と伝わる延命地蔵大菩薩は南北朝時代の安阿弥の作。昭和三十九年には、知多半島最大の大梵鐘が鋳造、奉安されました。

ご本尊 延命地蔵大菩薩

ご詠歌 神護る 山に風清らかに延命地蔵 ゐます相持院

絹本著色仏涅槃図

六十五番から国道一五五線を北上。常滑高校の前を通って約五・三キロメートル、六十六番は八景山中之坊寺。

聖徳太子開創の宮山金蓮寺の九坊中の一坊として開創。一五八四年に兵火に遭って金蓮寺は焼失。それから七年後、政憲和尚が金蓮寺のご本尊、十一面観世音菩薩を奉じて中興。

寺宝として、国指定文化財の「絹本著色仏涅槃図」や奥州中尊寺の寺宝だった大般若経などがあるそうです。

ご本尊 十一面観世音菩薩

ご詠歌 法の道 守る心の中之坊 堅き石瀬や かなやまの里

大野城

六十六番から七十一番は名鉄常滑線大野町駅周辺。来月は戦国時代の重要拠点であった大野城の歴史について少し触れたいと思います。乞ご期待。