【第191号】知多八十八ヶ所霊場17(今月は常滑に入ります)

皆さん、こんにちは。気持ちのよい新緑の季節になりましたが、朝晩はまだ冷え込む日もあります。くれぐれもご自愛ください。

昨年から知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしているかわら版、今月は常滑に入ります。

一切厄除大師

五十七番を出て国道二四七号線を北上。並走していた名鉄知多新線が富貴に向かって東に折れた後も国道を北上。五十七番から約七・五キロメートル、番外札所の金鈴山曹源寺に到着。

明治初期まで隣接する八幡社も管理していたため、地域の皆さんからは「宮寺」と呼ばれて親しまれています。

「一切厄除大師」として知られる当寺の御尊像は、お大師様が大蛇悪鬼を護摩妙供の秘力で退散させた時の姿と伝わります。

大正十二年、足の不自由な岡山県出身の岡田長五郎さんが夢のお告げに従って当寺を参拝したところ、霊験を得て快癒。使っていた木製の車(いざり車)が奉納されています。

ご本尊 阿弥陀如来

ご詠歌 ありがたや 金鈴山の岩陰に 弥陀のまします 曹源の寺

分身大師

曹源寺から約○・二キロメートル、国道沿いにあるのが五十八番、金光山来応寺。

昭和三十七年、名古屋市の寺尾勝次郎さんのもとに持ち込まれた泥まみれの石像。洗い清めると五十八番の大師像に似ていたので堂を立てて供養。すると、何と商売が繁盛。感謝して奉納された石像が分身大師です。

その隣には「ごっとり地蔵」も祀られています。「ごっとり」とは「ぽっくり」のこと。当地の村人の「ごっとり(ぽっくり)往生」の願いが込められており、今も信仰を集めています。

ご本尊 如意輪観世音菩薩

ご詠歌 仏徳の あまねき光り来応寺 大悲のめぐみに添ひくる

准提観音像

五十八番から約○・二キロメートル、国道から少し集落の中に入ると五十九番、萬年山玉泉寺。

ご本尊は聖徳太子作とされる延命地蔵菩薩。十二年に一度、子年だけにご開帳される秘仏です。

お大師様のご真筆とされる准提(じゅんでい)観音像も伝わります。

ご本尊 延命地蔵菩薩

ご詠歌 玉泉寺 湧き出るいづ地蔵尊 今も変わらぬ 慈悲のいさおし

本四国お砂踏み霊場

五十九番から集落の中を抜けて約一・六キロメートル、六十番は大光山安楽寺。

開創(一五八六年)に先立つ一五三七年、織田氏と今川氏の交戦による戦火を避け、隣の六十一番の古刹、高讃寺からご本尊をこの地に移したのが寺の縁起と伝わります。

本堂前には四国の形を象った本四国お砂踏み霊場が設けられています。

ご本尊 阿弥陀如来

ご詠歌 阿弥陀仏 光り放たす安楽寺 詣るまにまに 助けまはん

知多三山

六十番から再び国道二四七号線に戻って北上すること約二・三キロメートル、六十一番は御嶽山高讃寺。

天武天皇の勅願により六八三年、行基菩薩によって創建されたと古刹。

かつては七堂伽藍を有した大寺院。四十三番岩屋寺、八十二番観福寺とともにfont color=”#990099″>知多三山と呼ばれていました。

一五三七年、織田氏と今川氏の交戦による戦火で堂宇の大半を焼失。さらに文禄年間(一五九二~九六年)にも兵火に遭い、三百坊あったと言われる巨刹は南坊一院のみとなりました。

ご本尊 西方如来

ご本尊は関東地方に多い鉈(なた)彫り様式。その西限と言われています。参道山門の仁王像は鎌倉時代のもの。知多四国霊場最大の三メートル級です。

ご本尊 聖観世音菩薩

ご詠歌 張り挙げて 仏の功徳高讃寺 あの世までもと響け渡らめ

六十八番までは常滑市

来月は六十二番からですが、名鉄常滑線大野駅近くの六十八番入ります。常滑市には十一カ所の札所があります。乞ご期待。