【第189号】知多八十八ヶ所霊場15(今月は野間に向かいます)

皆さん、こんにちは。春が待ち遠しい季節になりましたが、まだまだ寒い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。

昨年から知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしているかわら版、今月は野間に向かいます。

御助大師(おたすけだいし)

四十七番持宝院を出て国道二四七号線を北上すること約四・〇キロメートル、小野浦を越えて集落の中に入ると四十八番禅林山良参寺があります。

江戸時代末期から明治時代初期にかけて、小野浦は千石船の拠点港として知られていました。

一八三二年、大坂から江戸に向かう途中に遭難して米国に漂着した宝順丸の乗組員の墓碑があり、その中の音吉、久吉、岩吉の通称「三吉」は初の邦訳聖書を制作したそうです。

当寺のお大師様の像は御助大師と呼ばれ、目の見えない女性が開眼した霊験などが伝わっています。

ご本尊 聖観世音菩薩

ご詠歌 はるばると まいる禅林良参寺 吹き来る風も 御仏の声

細目の毘沙門さん

良参寺からさらに約二・一キロメートル北上すると四十九番、護國山吉祥寺。

開山は一六〇五年、関嶺元通首座。再興は雲眠瑞大和尚。火災後の再建派州海寛和尚と伝わっています。

別堂にある秘仏・毘沙門天は行基作。一本の木から三体を作ったうちの一体。顔の特徴から「細目の毘沙門さん」と呼ばれ、付近の地名(細目)にもなりました。もう一体は広目寺(常滑市)にある「広目の毘沙門さん」。最後の一体はどこでしょうか、気になります。

本堂には法隆寺の夢違観音を模した観音様が鎮座。悪い夢を良い夢に取り換えてくれるご利益があるそうです。

ご本尊 釈迦牟尼仏

ご詠歌 何事も 吉祥なれど 祈る身は やがて幸よき 因縁ぞ来む

白衣観世音菩薩

さて、野間の中心部に向かいます。野間は源頼朝の父、義朝最期の地。頼朝の生母は熱田神宮大宮司の娘。生誕地も熱田神宮近く(現在の誓願寺の場所)。

義朝・頼朝親子は愛知県に縁が深いのですが、信長・秀吉・家康があまりにも有名なため、地元の皆さんもあまり意識していませんね。

義朝・頼朝親子に縁の深い五寺(五十・五十一・五十三・五十五・五十七番)に行く前に、道程の都合上、まずは五十六番、祥雲山瑞境寺に向かいます。四十九番から約一・五キロメートルです。

開山は蘭峰盛曇和尚、中興は雷淵黙要和尚、再興は岱豊秀山和尚。四十九番吉祥寺と同様に、開山・中興・再興の祖が伝承されています。

ご本尊の白衣観世音菩薩は日本に三体あるうちの一体と伝わり、息災徐病にご利益があるとして信仰を集めています。

ご本尊 白衣観世音菩薩

ご詠歌 慈悲の目に にくしと思  ふものはなし 命あるもの  あはれまします

かじとり観音

五十六番から約〇・四キロメートル、五十二番は鶴林山密蔵院。

寺の縁起は白河天皇勅願寺(大御堂寺)の塔頭寺院(宝乗坊)。

か前述のとおり、野間は千石船の拠点。当院の別堂には、船乗りたちの信仰を集めた如意輪観音、別名「かじとり観音」が祀られています。その脇には、古くなった船が置かれています。

ご本尊 不動明王

ご詠歌 法界を 平等に見る御仏は 密蔵院にて 輝きてます

大御堂寺

来月はいよいよ野間中心部。源義朝の廟所がある大御堂寺ほか、縁の深い五寺に向かいます。乞ご期待。