皆さん、こんにちは。早いもので九月です。朝晩は肌寒い日もあります。くれぐれもご自愛ください。今年のかわら版は知多八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。今月は二十五番からスタートです。
弘吉布袋
二十四番から名鉄河和線と国道二四七号線の間を南に二・七キロメートル、富貴駅北側の踏切を越えると二十五番、法輪山円観寺。
縁起は室町時代に遡りますが、現在の場所、山号・寺号になったのは一五七四年。
総欅(けやき)造りの護摩堂には、金毘羅大権現、不動明王、薬師如来が祀られ、毎月十日には護摩祈祷が行われます。
堂内には笑顔が印象的な弘吉布袋も鎮座しており、参拝客に親しまれています。
ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 円やかに 観給う弥陀 の 慈眼には 富貴も貴 賤も 別ちなからむ
武田安兵衛行者
二十五番から名鉄河和線に沿ってさらに南下すること三・二キロメートル、開山所の達磨山葦航寺。
知多八十八ヶ所霊場の三開山のひとり、武田安兵衛行者を祀っています。讃岐生まれの安兵衛と、霊場の開基、亮山阿闍梨との出会いの経緯は二月号をホームページからご覧ください。
亮山阿闍梨、岡戸半蔵行者とともに知多八十八ヶ所霊場の開山に奔走。讃岐出身の安兵衛は本四国霊場の砂を集め、これを納めました。
開山の大業を達成した翌年の一八二五年、安兵衛は布土の十王堂で三十六歳の若さで亡くなりました。
ご本尊 釈迦牟尼仏
ご詠歌 一筋に 八十八と願立 てて 布土の縁で なる ぞはたせり
安産の観音様(時志観音)
葦航寺から海沿いの国道二四七号線に出て南に二・三キロメートル。急な石段の上に海を見下ろして立つのは番外札所、慈雲山影現寺。
八二七年、佐久島の漁師の網に十一面観音像がかかり、島の草堂に祀っていると、堂守の夢に観音様が現れ「願わくは対岸の陸地に祀れ」との夢告。観音像から出た光明が指し示した先が当地だったと伝わります。
遷座した後はいつしか時志観音と呼ばれるようになり、草堂をもとに一五〇四年開山、一七一五年開創。
領内巡察中の尾張藩初代藩主、徳川義直が当寺で休息。由来に感服した義直は当寺を庇護。義直の安産祈願も叶えたことから、以後、安産の観音様として信仰されました。
ご本尊 釈迦牟尼仏
ご詠歌 時しらぬ 利益はいつ も有明の 月の光の い たらぬはなし
地獄絵図
時志観音から国道二四七号線をさらに一・四キロメートル南下。名鉄河和駅近くにあるのが二十六番、龍華山弥勒寺。
一五九六年に開創。一七五三年の火災で堂宇を焼失しましたが、後の住職、海嶺和尚や天佑和尚らの尽力で再興。今日に至っています。
釜茹で、血の池地獄などが描かれた寺宝「地獄絵図」は毎年春秋のお彼岸の一週間ご開帳され、多くの人が参拝に訪れます。
お庫裏さんは著名な画家と伺っています。お庫裏さんご自身が「天井絵」などの仏画を描かれ、その数も年々増えているそうです。
ご本尊 弥勒菩薩
ご詠歌 露の身も 今日は嬉し く北方の 弥勒寺尊の あかつきにある
岡戸半蔵行者
さて、来月は二十七番から。三開山のひとり岡戸半蔵行者を祀る開山所が境内にあります。乞ご期待。