【第182号】知多八十八ヶ所霊場8(二十番札所から出発!)

皆さん、こんにちは。夏真っ盛りの八月、暑い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。今年のかわら版は知多八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。今月は二十番からスタートです。

手足弘法

十九番から西に〇・七キロメートル、二十番は萬松山龍台院。

戦国時代の一五七三年、当地の土豪、吉田禎輔が堂宇を建立したのが始まりです。

弘法堂南に立つ萬松稲荷は元々横須賀町(現在の東海市)玉林斎にありましたが、住職の夢に神様が現れ「衆生済度のため龍台院に祀ってほしい」との夢告。明治三〇年に移されました。

弘法堂前に置かれている手足の木型で患部を摩ると治ると信じられ、手足弘法と呼ばれています。

ご本尊 十一面観世音菩薩

ご詠歌 千歳ふる つるの林の 大悲閣 えんぶだごんの 光り輝く

家康公縁(ゆかり)の寺

二十番から南下。知多半田駅を横目に名鉄河和線に沿って二・一キロメートル、二十一番は天龍山常楽寺。

二十番より約百年前の一四八四年、空観栄覚上人が応仁の乱の戦没者供養のために発願、開創しました。

八世典空上人の母は家康公母(於大の方)の妹、つまり上人は家康公の従兄弟。そのため、家康公は桶狭間の戦、本能寺の変、上洛時の三度に亘って当寺を参拝。家康公縁の寺であったことから、尾張藩初代藩主徳川義直の庇護を受けました。

毎年三月二五日には知多半島各地から宗門僧俗が集まり、法然上人を偲ぶ御忌会が行われます。

ご本尊 阿弥陀如来

ご詠歌 常楽の 彼岸にやがて 到らまし 御名唱ふるは 報恩のため

お八日(おはちにち)

二十一番からさらに三・七キロメートル南下。武豊平井畑交差点を左折すると、二十二番、御嶽山大日寺。

ご本尊大日如来は元々桓武天皇勅願寺の御嶽山光照院に祀られていましたが、戦乱で堂宇が焼失した際、難を逃れるために大日池に沈められました。約百年後、灌漑工事の際に発見され、大日寺に奉安されました。

旧暦一月二十八日は「お八日」と呼ばれる大日如来の縁日。現在では毎年三月第一日曜日に開かれています。

ご本尊 大日如来

ご詠歌 まんだら界 洽く照らす 御仏の 功徳長尾の 大日の寺

ヒジリ(聖)田

二十二番から〇・五キロメートル。前田交差点を右折、前方右手に見えてくるのが二十三番、意龍山蓮華院。

応仁の乱の戦乱に苦しむ村を案じた修行僧が草庵を結んだのが始まり。僧は農耕指導も行い、村人から慕われ聖上人と呼ばれました。以来、この辺りの地名はヒジリ田となりました。

昭和四十五年に火災に遭い、以後、順次再建。現在の本堂は鮮やかな色彩が目を引きます。

ご本尊 阿弥陀如来

ご詠歌 寺の名に 因む一連托生は み名を称ふる 口にこもれる

義朝公供養

二十三番から一・六キロメートル。JR武豊駅を過ぎると左手に現れるのが二十四番、慶亀山徳正寺。

源義朝を討った長田忠致の末裔が、一五一三年、義朝公供養のために地蔵尊を祀ったのが始まりです。

ご本尊脇に安置されている十一面観世音菩薩は天平時代作の重要文化財。明治時代の廃仏棄釈の際、檀家が隠して守ったそうです。

ご本尊 大通智勝仏

ご詠歌 法の雨 降りかかる身の 徳正寺 道大足に 知らで行く人

二十番台入り

さて、来月は三開山のひとり、武田安兵衛行者を祀る葦航寺にも立ち寄ります。乞ご期待。