香木の香り
皆さん、こんにちは。秋の気配も深くなり、朝晩は涼しくなりました。くれぐれもご自愛ください。さて、紙上遍路のかわら版。残すは三ヶ寺、いよいよ結願。最後まで頑張りましょう。今月も元気に出発です。
讃岐最古
八十五番から約六キロメートル、八十六番は補陀落山(ふだらくざん)志度寺(しどじ)。
讃岐の最古刹。創建は日本に仏教が伝来して間もない大和朝廷時代の推古三十三年と言われています。
この地の尼、凡薗子(おおしのそのこ)が志度の浦に漂着した檜の霊木を引き上げると、閻魔大王の化身が現れ、その霊木で十一面観音像を彫って姿を消しました。それを祀ったのが寺の縁起です。
補陀落山はインドの南方にある観音菩薩の住む世界です。
藤原不比等がこの地の海女であった妻の墓を建立。堂宇を立てて死渡道場と称しました。死渡は極楽浄土へ渡るという意味でした。
息子の房前(ふささき)が行基菩薩と一緒に寺を訪ね、母の菩提を弔って諸堂を再興。寺号を志度寺に改称。
この寺は、近松門左衛門の浄瑠璃「大織冠(たいしょっかん)」や謡曲「海人(あま)」の舞台になっています。
大会陽福奪い
八十六番から約七キロメートル、八十七番は補陀落山長尾寺(ながおじ)。
行基菩薩がこの地を巡錫し、路傍の楊柳(ようりゅう)に霊験を感得。この柳で聖観世音菩薩像を彫り、堂宇を建てて安置したのが開基です。
観音様がご本尊なので、山号は八十六番と同じ補陀落山です。
お大師様もこの寺を来訪。年初の七夜にわたり護摩修法を行い、人々に護摩符を授けました。
この行事は今日まで、毎年正月七日に行われる大会陽福奪い(だいえようふくうばい)として続いています。
宝木が撒かれ、三宝にのせた大鏡餅で力比べも行われます。
境内には、源義経の側室であった静御前(しずかごぜん)が母の磯禅尼(いそぜんに)とともに得度した後、髪を埋めたと伝えられる静御前剃髪塚もあります。
鑑真和上
いよいよ結願所に向かいます。八十七番から約十五・六キロメートル。待ち遠しくも、お遍路が終わるのが名残惜しく、一歩一歩に思いがこもる道中です。八十八番は、徳島県境に近い矢筈山(やはずやま)中腹にある医王山大窪寺(おおくぼじ)。
この寺も、行基菩薩が巡錫した折、霊夢を感得して草庵を建てたのが開創縁起です。
唐から帰朝したお大師様は、現在の奥之院付近にある岩窟で虚空蔵求聞持法を修法。
お大師様は谷間の窪地に堂宇を建て、薬師如来像を彫って本尊とし、地形に因んで寺号を大窪寺としました。
お大師様が長安青龍寺の恵果和尚から授かった錫杖(しゃくじょう)が納められています。
お大師様がご本尊に水を捧げるため、杉の根元を独鈷で加持して湧き出た清水は今日まで絶えたことがなく、多くの人がその薬効のご利益を受けています。
お大師様の高弟、真済(しんぜい)僧正が住職の頃から、女性の参拝も許され、女人高野として興隆しました。
お遍路をともにした金剛杖は道中大師と呼ばれます。菅笠などとともに、毎年春秋の紫燈大護摩(さいとうおおごま)で供養されます。
大窪寺に辿り着いたお遍路さん。最後のお勤めを終えると「もったいないこと南無大師遍照金剛」と繰り返し、立ち去り難い思いで一杯になります。
生きていること、生かされていることに感謝し、結願します。
総集編
たかが紙上遍路。されど紙上遍路。何だか感無量ですが、来月は八十八ヶ所霊場の総集編です。