【第170号】四国霊場、紙上遍路の旅20(八十二番青峰山根香寺・八十三番神毫山一宮寺・八十四番五剣山八栗寺

皆さん、こんにちは。立秋も過ぎましたが、まだまだ暑い日が続きます。ご自愛ください。さて、紙上遍路のかわら版。残すは七ヶ寺。頑張って打ち通しましょう。今月も元気に出発です。

香木の香り

八十一番から約七・五キロメートル、八十二番は青峰山(あおみねざん)根香寺(ねごろじ)。

五色台については先月号でもご紹介しました。高松と坂出の間、瀬戸内海に突き出た標高四百メートルの山並みです。

この地に五智(ごち)如来を感得して花蔵院(けぞういん)を建立したお大師様。

この地で市之瀬明神の化身と遭遇し、千手院を建てたお大師様の甥の智証大師(円珍)。

千手観音像を彫った香木の切り株が芳香を放ち続けたことから、両院を総称して根香寺と呼ばれました。

香川という地名は、その香木の強い香りが川に流れて下流に届いたことに由来するとの説もあります。香木は樺の木とも言われています。

地獄の釜の音

八十二番から約十六・三キロメートル、八十三番は神毫山(しんごうざん)一宮寺(いちのみやじ)。

一宮寺は八十八ヶ所霊場の中でも最古のひとつ。

開基は奈良時代の義淵僧正。日本への仏教伝来から約百五十年後の大宝年間。元号に因んで大宝寺と称しました。

その後、諸国に一の宮が建立された際、行基菩薩が当寺を讃岐一の宮である田村神社の別当寺とし、寺号を一宮寺に改称。

田村神社の鳥居を出て左に進むと、一宮寺の仁王門。

本堂左にある薬師如来を祀る石の小祠。頭を入れると聞こえる唸り音は通称「地獄の釜の音」。
この音を聞くと、「新しい境地が開ける」と伝えられています。

鑑真和上

八十三番から約十六キロメートル、八十四番は源平合戦で知られる屋島の上に建つ南面山(なんめんざん)屋島寺(やしまじ)。

授受戒のしきたりを伝えるために日本に渡ることを決意した唐の鑑真和尚。

五回もの渡海の失敗の末、失明。それでもなお六回目の渡海を試み、七五三年、鹿児島に上陸。

翌年、難波経由で東大寺に向かう航海の途上、屋島沖で瑞光を感得し、屋島北嶺に登って普賢堂を建立。

弟子の恵雲律師が初代住職となり、屋島寺と号しました。

八一五年、お大師様が嵯峨天皇の勅願により来訪。伽藍を北嶺から南嶺に移し、十一面千手観世音菩薩を彫って本尊としました。

山岳仏教の修行場として興隆。平家供養の梵鐘は、鎌倉時代のものです。

八栗の聖天さん

八十四番から約六キロメートル、八十五番は五剣山(ごけんざん)八栗寺(やくりじ)。

屋島の東にある五剣山。五峰に由来した名前ですが、江戸時代の豪雨と地震で山体が変容。現在は四峰です。

お大師様は幼少の頃よりこの山に登っていたそうですが、ある時、五柄(ごふり)の剣が天から降り、蔵王権現が出現。

山頂から四方八ヶ国が見渡せたため、当初の寺号は八国寺。

入唐前にお大師様が埋めた八つの焼き栗が、帰朝後に繁茂しているのを見て、寺号を八栗寺に改号。

お大師様が彫った歓喜天を祀る聖天堂。夫婦和合、厄除け、商売繁盛の「八栗の聖天さん」として信心されています。

捨身ヶ嶽

残すところ三ヶ寺。来月は、浄瑠璃や謡曲にも登場する八十六番、志度寺から。乞ご期待。