【第161号】四国霊場、紙上遍路の旅11(四十四番菅生山大寶寺・四十五番海岸山岩屋寺・四十六番医王山浄瑠璃寺・四十七番熊野山八坂寺・四十八番清流山西林寺

皆さん、こんにちは。いよいよ冬ですね。くれぐれもご自愛ください。さて、紙上遍路の今年のかわら版。では出発。

中札所

四十三番から約八十二キロメートル、四十四番は菅生山(すごうざん)大寶寺(だいほうじ)。

四国霊場八十八ヶ所のちょうど半分になるため「中札所」と呼ばれます。

道中二十時間を超える「遍路ころがし」。途中、お大師様が橋下で一夜を明かした遺跡、番外十夜ヶ橋があります

橋下には大師像があり、橋を渡る時は杖をつかないことが約束事になっています。

海抜約五百メートルの高地にある大寶寺。樹齢数百年の杉や檜が林立する幽玄な境内です。

後白河法皇の命で住職となった妹宮を埋葬した陵(みさぎ)権現、お大師様を接待した老女くまを祀るおくま大師堂など、見所の多い札所です。

幅割(せりわり)禅定

四十四番の裏山を越えて約九キロメートル、大寶寺よりさらに高い海抜七百メートルに立つ四十五番、海岸山岩屋寺。

周囲は怪岩奇峰の深山。山籠していた法華仙人と呼ばれる女行者がお大師様に篤く帰依し、全山を献上したと伝えられています。

本堂から約三百メートル行くとお大師様の行場であった幅割禅定。鎖にすがって這い上がる急峻な崖の上に祀られるのは白山権現。頂上からの視界は絶景です。

山中に三宝鳥(ぶっぽうそう)、慈悲声鳥(うぐいす)、鉦鼓鳥(ほととぎす)、笛鳥(ひよどり)、慈悲心鳥(じゅういち)、鼓鳥(きじばと)、鈴鳥(きびたき)の七霊鳥が棲息していたことから、この地は「七鳥(ななとり)」という地名がついています。

右衛門三郎(えもんさぶろう)

四十五番から馬子泣かせの難所と言われる三坂峠を越えて約二十二キロメートル、四十六番は医王山浄瑠璃寺。険しい行程ですが、道中松山城や瀬戸内海が遠望できます。

浄瑠璃寺周辺は、お遍路の元祖、右衛門三郎の故郷。強欲非道な富豪であった三郎。門前に来た托鉢僧がお大師様と知らずに狼藉。

そののち、八人の子供が次々と急逝。托鉢僧がお大師様と知った三郎が非を悔やんで巡拝の旅に出たのがお遍路の始まりと言われています。

参道入口には「永き日や衛門三郎浄るり寺」という正岡子規の句碑があります。

四十六番から北へ約一キロメートルにあるのが四十七番、熊野山八坂寺。

役行者が開基とされる古刹。文武天皇の勅願で堂宇建立の際、八ヶ所の坂道を切り開いたことが寺号の由来。

右衛門三郎の菩提寺、そして三郎の屋敷跡。八人の子供を埋葬した八塚には、石地蔵が祀られています。

杖(じょう)の淵

四十七番から約五キロメートル、田園の中にあるのが四十八番、清滝山(せいりゅうざん)西林寺。

門前を流れる内川より低地になっていることから、お遍路さんの間では罪業ある者が寺門をくぐると無間地獄に落ちると言われ、関所寺とも呼ばれます。

お大師様がこの地に逗留した際、大旱魃(かんばつ)に苦しむ村人を救うために錫杖(じゃくじょう)を突いて水脈を発見。以来、泉は涸れたことがなく、「杖の淵」と呼ばれています。

寺宝の四国遍路絵図はお遍路の最古の絵図と言われています。

空也上人像

次は四十九番。写真などで見覚えのある空也上人像を安置している西林山浄土寺。ここにも正岡子規の句碑があり、「霜月の空也の骨に生きにける」と刻まれています。乞ご期待。