【第159号】四国霊場、紙上遍路の旅9(三十五番医王山清滝寺・三十六番独鈷山青龍寺・三十七番藤井山岩本寺・三十八番蹉だ山金剛福寺・三十九番赤亀山延光寺

皆さん、こんにちは。秋本番。朝晩は冷え込んできました。くれぐれもご自愛ください。さて、紙上遍路の今年のかわら版。では出発。

逆修の五輪塔

土佐市に入り、西に進むと山並みに遭遇。その山腹にあるのが三十五番、医王山清滝(きよたき)寺。三十四番、から約十・二キロメートルです。

お大師様の霊験で湧き出た清流は、ミツマタ(紙の原料草)をさらし、紙を漉(す)くのに重宝され、この地は土佐和紙の産地となりました。

お大師様の十大弟子のひとり、真如(しんにょ)がこの寺に逆修(ぎゃくしゅ)の五輪塔を建立。逆修とは、生前に死後の冥福を祈る仏事。

真如は入唐し、インドに向かう途上で逝去。覚悟の上の逆修だったのかもしれません。

宇佐の大橋

三十五番から宇佐の大橋を渡って約十四・八キロメートル。三十六番は独鈷山(とっこうさん)青龍寺(しょうりゅうじ)です。

橋は昭和四十八年完成。それまでは河口に渡し船がありました。お大師様の従者八人がこの地に残り、その子孫がお遍路さんのために渡し船を守ってきたそうです。

お大師様が唐の長安で恵果(けいか)和尚に師事したのは青龍寺(せいりゅうじ)。日本で寺を作ろうと決意したお大師様が天空に投げた独鈷(どっこ)がこの地の老松に掛かっていたのが寺の縁起と言われています。

峠越えの窪川

三十六番と三十七番の間は約六十キロメートル。歩き遍路なら道中須崎で一泊。須崎はかつてのカツオ漁の根拠地。角谷岬からの景色が美しい景勝地です。

須崎から焼坂峠、中坂峠、七子峠を越えると窪川に到着。崖沿いの峠道は車で行っても難所です。

窪川は土讃線の終点。四万十町です。標高二七〇メートルの台地の上にある町中に静かにたたずむ三十七番、藤井山岩本寺。

聖武天皇の勅願で行基が開基。天正の兵火で全山焼失したものの、再興されて今日に至っています。

補陀落東門

三十七番からは約九十キロメートルの行程。四国霊場間の距離では最長。徒歩なら二泊三日か三泊四日。まさしく土佐「修行の道場」の真骨頂の先にあるのが三十八番、蹉だ山(さださん)山または足摺山(あしずりさん)金剛福寺。境内の広さ十二万平方キロメートルの大道場です。

土佐と言えば、東は室戸岬、西は足摺岬。四万十川を渡り、土佐清水を経て、ジョン万次郎の碑が立つ中浜を過ぎて足摺岬へ。その断崖絶壁の上に建つのが金剛福寺です。

お大師様が岬の先に広がる大海原に補陀落(ほだらく)の存在を感得。

補陀落は観世音菩薩が住む理想郷。インド南方の海にあると信じられています。

お大師様は嵯峨天皇から「補陀落東門」の勅額を賜り、寺を建立。戦国時代以降、補陀落を目指してひとり小舟で海に漕ぎ出す「補陀落渡海」が広まりました。

宝医水(ほういすい)

ここまで来たら、土佐最後の札所、三十九番、赤亀山(しゃっきざん)延光寺まで足を伸ばしましょう。三十八番から約六十キロメートル。ここも長い。

お大師様は、ここで錫杖(しゃくじょう)で地面を突いて湧き出た霊水を宝医水と命名。今でも眼病に効く眼洗い井戸として親しまれています。

四万十川と足摺岬

今回はよく歩きました。次回はいよいよ伊与(洒落ではありません)。
「菩薩の道場」と呼ばれる伊与の札所は四十番、平城山観自在寺からスタートです。乞ご期待。